みどりさんのこれと同じ題の記事を読んで
色々思うことがあった
私もふるさととして懐かしむところがない
若い頃
何時も そのときいる場所が自分のいるべきところではない感じがして
魂はあちこちさまよっていたので
懐かしく思うところがないように思ってきた
居場所を求めている流浪の民のような気がしていたのです
若いときは皆そうなのかなあ
子供たちは
我が家が引っ越しすぎだ と 文句を言います
ふるさとを何処といえばいいんだよ と
子供たちにも懐かしい場所はないのでしょうか
犀星の詩のように
>うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
こうなりそうな子供たちを思って
>遠きにありて思ふものというような
懐かしい場所を作ってやれなくて
かわいそうだったなあと思います
田舎で育った人をうらやましく思うのは
田舎には 無条件でふるさとというような
魂の居場所があるのかしら
と思うからです
でも
懐かしく思うのは
自分を受け入れて包んでくれて安らげる場所だったら
そう思えるのでしょう
田舎がふるさとにはならなかったかもしれない
姑を思います
姑は戦争末期ふるさとに疎開してて
夫を失いました
皆が貧しかった終戦後
後ろ盾を失った姑に
田舎はつらく当たったようです
姑にとってその後も田舎に優しく受け入れられたという思いはなさそうです
プライドが高い分
つらく悔しい思いをいっぱいしたようで
何時も
自分は東京の人間だ
東京で暮らすと
茨城弁で主張し
私に老後武蔵が誘っても
田舎には行くなと諭したのです
姑にとって結婚生活を始めた東京こそが
自分の居たかった場所だったのでしょうか
おばさんと
昨日浅草に墓参りに行って
武蔵と二人で
こんな東京は住むところじゃあない
木が生えてると思ったら
ビルだよ!
と
意気投合してるのを聞いて
フン!
と思いました
プールから帰るときも
おばさんが
「あんな東京はとてもじゃないが住めないよなあ」と
繰り返し言うので
ちょっとムカッとして
「でも
おばさん 年取ると 都会は暮らすには便利よ」
と
口答えをしました
それでもね
東京はお金がなければ暮らせません
おばさんがここ田舎を自分の最後の住処として
見事にふるさとにしています
自分のアイデンティーティはここで完結という風情で
自分の幸運な人生の締めくくりをくりかえし
おいしそうに反芻しいている感じです
う~~
苦労を思い出に同情されるのが好きだった姑よりは
人生の達人!と思います
おばさんにとっては長い東京での働く暮らしは
すべて
楽しい老後のための仮の生活だったのでしょう
若くても若くなくても ここはおまえのいるところではない
と
排斥されてる場所
自分をわかってくれることのない
冷たい場所
自分を迫害するものがいる場所
そういうところをふるさととはいえない
それで
流浪の民になっちゃう
6人に一人は貧困層
ということをテレビがやってた
貧しくても満ち足りてる人もいるだろうけれど
貧しくても挑戦する未来が開けてれば
くよくよする間もないだろうが
今
居場所に困る人は凄く多そうだなあ
政治がやることは
手当てだの給付だのではなく
ちゃんと
そこで生きてっていい
そこで働いてくれていい
人々が豊かに暮らせるために
自分は なんだか いい働きをしているぞと
切り拓く気分が横溢してる世の中を作ることだなあ
と思うが・・・
みどりさんの文章を読んで
ふるさとを遠ざけるものは
「差別」だと思いました
貧困 病気 仕事 すべてのものに居心地の悪さを与えるものは
差別です
田舎源氏を読んでると
この田舎差別も何の疑いもなく展開してます
差別思想は根が深い
「塩狩峠」では結核でカリエスで寝たきりの少女が
人々の優しさを生み出す尊い存在として描かれています
映画「道」ではジェルソミーナが路傍の石にも存在意義があると
納得したとき
おろかな自分も
存在していいんだと感動する場面がありました
ふるさとは
あるがままのわれを受け入れる
温かい寝床なのだろうなあ
さあ
現実の温かい寝床で
もう一眠りしよう
夜中に目覚めて
紙芝居仕上げたよ