遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

光をたべる仔馬  最終講座

2009-10-22 21:06:28 | ブログ

情景を描きながら読む

というのに続いて

台詞だけ読む

というのをやった

私が男の子役

相棒が女の子役

それでぴったりのはずが

なぜか今日は

私が女の子らしくて なんでだ?

ということになった

 

お話の中で

女の子と男の子が最初は5歳ぐらいの小さな子

そのときは

女の子がお姉さんポイ

それが

青年になって再び絡むときはちょっと目線も変る

背も男の子はぐんと伸びて

見下ろしながら話してるね 多分

 

いろいろなところで先生の指導が入ったけれど

ふっと思った

男の人から見たときの女の子の世界

これはちょっと摩訶不思議かも

 

ゲイの人やオカマの人が女言葉をしゃべるとき

シナを作ったりするのは

女から見ると異様だ

それが当人は

女の子っぽいと思ってるのかもしれないが

違うぞ と内心思ってる

でも

勝手に男の人は妄想たくましくして

それが女っぽいと思ってるんだな

女のほうでその期待にこたえるように

しぐさを作ったりしてないか?

どうやら

絶妙な間を要求されてるような指導のとき

内心

(先生の男目線からはそういう間が必要に思うかな?)

と 

ちょっと気色悪かった

(われらの先生は一見若そうな男の先生です

でも

その学識の深さからすると

そう若くもないでしょう)

だから笑っちゃうんだが

 

それにしても

今日

微妙に女の子だったみたいよ

何でだ?

 

ともかく

綺麗なお話

相棒はいつか読みたいという

私はいつか画像を作りたいと思う

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実りの秋

2009-10-22 16:39:05 | ブログ

Imgp6472

椎茸!!!

朝、里山から武蔵が電話

「茸が凄いぞ 写真取りに来い!」

って

私は

今日は朗読講座とボランティアで

ダブルヘッダーだからあたふたしてた

紙芝居を仕上げる

おばさんに食事配達

息子のお弁当

と大童中

遅刻しそう 行かれない!

と言ったものの

気になって

あたふたと里山に

!!!

すげ~~~!!

(興奮するとお郷割れの言葉遣い)

Imgp6477

平茸!!

Imgp6476

これは 茸じゃないよ

里山に株分けしたアーカンサス

Imgp6481

これは有毒植物

ヨウシュヤマゴボウ

ちょっと里山の早朝の雰囲気を味わっていただけます?

Imgp6467

これはお庭のほうね

筑波蜜柑?

蜜柑の北限で

小さい実です

秋は

おいしいものがいっぱい

 

ヨウシュヤマゴボウは食べませんよ

Lkinoko

さて 

体調不良で参加が危ぶまれてた

朗読ボランティア

行けました

紙芝居も

一夜漬けで出来るかなァと思ったけれど

出来たし(だいたい不安に思っても出来上がることになってる)

お年寄りには笑って楽しんでもらえたし

よかった

講座でお習いしたことはまたあとでじっくり書きます

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サフランが咲いたよ

2009-10-22 08:48:58 | ブログ

Imgp6462

ほらね

咲き始めは初々しい

Imgp6464

こっちは大分開いてる

ほら 蘂(しべ)が!

パエリアを作れといってるよ

絵もあるよ

Kaya0769

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ふるさとと呼べるもの

2009-10-22 04:30:45 | ブログ

Lm

みどりさんのこれと同じ題の記事を読んで

色々思うことがあった

私もふるさととして懐かしむところがない

若い頃

何時も そのときいる場所が自分のいるべきところではない感じがして

魂はあちこちさまよっていたので

懐かしく思うところがないように思ってきた

居場所を求めている流浪の民のような気がしていたのです

若いときは皆そうなのかなあ

子供たちは

我が家が引っ越しすぎだ と 文句を言います

ふるさとを何処といえばいいんだよ と

子供たちにも懐かしい場所はないのでしょうか

犀星の詩のように

>うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

こうなりそうな子供たちを思って

>遠きにありて思ふものというような

懐かしい場所を作ってやれなくて

かわいそうだったなあと思います

田舎で育った人をうらやましく思うのは

田舎には  無条件でふるさとというような

魂の居場所があるのかしら

と思うからです

 

でも

懐かしく思うのは

自分を受け入れて包んでくれて安らげる場所だったら

そう思えるのでしょう

 

田舎がふるさとにはならなかったかもしれない

姑を思います

 

姑は戦争末期ふるさとに疎開してて

夫を失いました

皆が貧しかった終戦後

後ろ盾を失った姑に

田舎はつらく当たったようです

姑にとってその後も田舎に優しく受け入れられたという思いはなさそうです

プライドが高い分

つらく悔しい思いをいっぱいしたようで

何時も

自分は東京の人間だ

東京で暮らすと

茨城弁で主張し

私に老後武蔵が誘っても

田舎には行くなと諭したのです

姑にとって結婚生活を始めた東京こそが

自分の居たかった場所だったのでしょうか

 

おばさんと

昨日浅草に墓参りに行って

武蔵と二人で

こんな東京は住むところじゃあない

木が生えてると思ったら

ビルだよ!

意気投合してるのを聞いて

フン!

と思いました

 

プールから帰るときも

おばさんが

「あんな東京はとてもじゃないが住めないよなあ」と

繰り返し言うので

ちょっとムカッとして

「でも 

おばさん 年取ると 都会は暮らすには便利よ」

口答えをしました

それでもね

東京はお金がなければ暮らせません

 

おばさんがここ田舎を自分の最後の住処として

見事にふるさとにしています

自分のアイデンティーティはここで完結という風情で

自分の幸運な人生の締めくくりをくりかえし

おいしそうに反芻しいている感じです

う~~

苦労を思い出に同情されるのが好きだった姑よりは

人生の達人!と思います

おばさんにとっては長い東京での働く暮らしは

すべて

楽しい老後のための仮の生活だったのでしょう

 

若くても若くなくても  ここはおまえのいるところではない

排斥されてる場所

自分をわかってくれることのない

冷たい場所

自分を迫害するものがいる場所

そういうところをふるさととはいえない

 

それで

流浪の民になっちゃう

 

6人に一人は貧困層

ということをテレビがやってた

貧しくても満ち足りてる人もいるだろうけれど

貧しくても挑戦する未来が開けてれば

くよくよする間もないだろうが

居場所に困る人は凄く多そうだなあ

 

政治がやることは

手当てだの給付だのではなく

ちゃんと

そこで生きてっていい

そこで働いてくれていい

人々が豊かに暮らせるために

自分は なんだか いい働きをしているぞと

切り拓く気分が横溢してる世の中を作ることだなあ

と思うが・・・

 

みどりさんの文章を読んで

ふるさとを遠ざけるものは

「差別」だと思いました

貧困 病気 仕事 すべてのものに居心地の悪さを与えるものは

差別です

 

田舎源氏を読んでると

この田舎差別も何の疑いもなく展開してます

差別思想は根が深い

 

「塩狩峠」では結核でカリエスで寝たきりの少女が

人々の優しさを生み出す尊い存在として描かれています

 

映画「道」ではジェルソミーナが路傍の石にも存在意義があると

納得したとき

おろかな自分も

存在していいんだと感動する場面がありました

 

ふるさとは

あるがままのわれを受け入れる

温かい寝床なのだろうなあ

 

さあ

現実の温かい寝床で

もう一眠りしよう

 

夜中に目覚めて

紙芝居仕上げたよ

L1

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