ここのところ大学生が幼稚になったとか
学力がなくて箸にも棒にもかからんというような話をよく聞く
レベルダウンと。
その教育って 幼少時からの結果だろうけれど
でも待てよ?
私たちも母親世代からそういわれて育ってきたよな
親の世代の書いた文字を見ると
私たちは知性のかけらもない感じかもよ
この間の昭和館でも思った
家にある親世代の若かったときの書いたものを見ると
何でこんなに漢字を使っているんだ?
何でこんなに字がきれいなんだ?と思うもの
で
実際に子供と接していたことを思うと
一杯感激してみていたことを思い出す
それもさ
学力なんか平均以下の子が
学級の問題に取り組むとき意外にしたたかに集団を動かしたりした
子供の可能性は無限です!
って 教条的に教えてくれた先生がいたけれど
確かにすごいな と思ったことはいっぱいあった
で いわゆる落ちこぼれの子たち
計算力を取り出して考えると
それだって大学に行っちゃうのが現在だから
それを取り出して呆れて見せればいくらでも呆れることはできるけれど
呆れるほど学力がないからって
就活用のなんだかあんちょこ教材が大学の単位になるって
問題になっている記事があったが
そんなことにお助けの手を出して
若者をスポイルしてしまうのではないか?
受験産業もそうでないか?
受験の技術をおせっかいに教えすぎて伸びる芽を摘んだんじゃないか?
私には本来人間は自分で考えたり工夫したり
訳の分からないことを
あれこれ考えるのが好きなようにできていると思うんだよな
大学の先生は大変だね
でも
面白がってもらいたい
ま
学生の側から見たって
どうしょうもない先生もいるんで
食いついていきたい先生もいるんで
先生の質が落ちてる
って
何かを取り上げて言えば
いつの時代にも
給料泥棒にしか見えない先生はいたよな
多分
身の回りにもう大学生はいないし
余計なお世話だけど