今日は
明後日のKINU洋画会で描く絵の背景を描いた
サキコサンの妄想を背景にした
鬼剣舞を描こうと思ったのは
そういえば二つの面がある
一つは絵の中に動きいとか軽みとか そういうものを描けるようになりたい
ということ
もう一つは 東北や今自分がいる北関東のこの災害を巡る思いは
鬼だよな
と思ったので 表現ということからも鬼だ
ふ~~んそうすると私が描く絵はプリミティヴ・アートンあるのか?
と、思い至った
私はそもそもお祭りとか お神楽とか ただただ血が騒ぐから
好き
絵になるんじゃない?
と聞いたら
「そんなものは絵にならない」とある画家は切って捨てた
フウン
でも
朗読で酒呑童子を読もうと決めて
話も作り始めて
思った
こういうの絵になる
とはいえ
御伽草子の絵はちょっと退屈かなあ
民話とか昔話ってプリミティヴ・ロマンか?
それらは象徴的で暗喩に満ちている
で
現代の表現になるじゃないか
それってシュールレアリスムではないか?と思った。
こじつけめいているけれど。
でも、自分の場所のプリミティヴなものはそういうところがある。
それと芸術のシュールレアリスムは違うのかもしれないけれど
超現実というものを見慣れた方法ではなく超見出すという作業は
深層心理学なんか関係ない方法でも探っていけるところがあるし
引き出せる真実というものもあるのかもしれない。
それが民族的で歴史的な表現と結びつくと
プリミティヴ・アートとシュールレアリスムが結びついてくるなと
思った
けさ テレビが
中国のパクリについてやっていたが
これは・・ 削除される前に見て?
考えたら パクリってどう?
知的財産なんてケチなことを言ってるのはみんながまだ貧しいからだね
ピカソもうんとパクってるよ!
形式から立体性を得る
って
何を言っているのかわからない。
が
アフリカの彫刻に触れたヨーロッパの芸術家が
一撃を受けた
といのは
この立体性をどう把握するかというところだ
というのはなんとなくわかる
これまでの ルネサンス以来の立体の把握というのから
こぞって逃げ出そうとしていたように思うあのころだ。
プリミティヴ・アートから啓示をうけたようなその後のキュビズムのことを考えると
ちょっとわくわくする
詳しくは分かっちゃいないんだけれど。
日本の浮世絵がポスト印象派に一撃を与えたというのは
その平面性でだと思うんだが
逆に日本では西洋から入ってきたこれまでと見方が違う
線遠近法に 一撃を受けている
異文化が出会って新しいものが生まれる
そういう幸福な感じがする
これらは
空間 立体 平面というところで
主題とか物語性とかそういうものは切って捨てる世界だ
一見すると
プリミティヴ・アートに触れるというのは
異国風の魅力に触れるという感じだけれど
それが邪魔だ