大塚先生の作文を読んで
大塚先生が 吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んで
一番感銘を受けたのは
中に出てくる迷えるコペル君がおじさんから
こういうアドバイスを受ける
「偉大な発見がしたかったら 勉強をモリモリやって
学問のてっぺんまで登って
そこの頂上で仕事をする」
ということだ
中学生がこういう風に考えることに燃えるのか!?
とびっくりした
しかし
人はそれぞれだから子供の考えることは
千差万別だ
改めて かつて中学生が意欲の燃やし方が
ちょっと理解できにくいことがあったこと
おかげで 少しわかったかもしれない
この間 サキコサンに私が色恋にはもともとあまり関心がない
と言ったら 気持ち悪がられ つまらないじゃないか
と言われたが
そういうことも
千差万別の 一つのタイプに違いない
源氏物語も
あの中の色恋を鑑賞したい気には全然ならないものな
源氏物語を読んだのはたぶん処世術のために読んだ
でも「紅楼夢」は面白がって読んだんだよな
なぜだ?ちょっとスリルがあったような気がする
中身はもうほとんど忘れたけど
中学時代女の子たちの読書傾向は
赤毛のアン VS チボー家ノ人々だった
図書室には人気の本ランキングみたいなのが貼ってあって
1位が赤毛のアン 2位がチボー家の人々 これは下が変わっても固定的だった
アンとギルバートの恋の展開に
私はあまり関心が持てなかった
小学校の時は
おおむね
外国のお話ばかり読んでいたような気がする
小学校6年生の時
学級文庫に次郎物語が来て
それは 夢中で読んだ
この時
日本の作家が書いた子供向けのお話
もっと読みたいと思って
中学生になったので
大人びたい年頃なのに
坪田譲二の童話を読みふけったのも覚えている。
こういう風な子供時代を過ごしたので
大塚先生の心情を理解するのは
なかなか大変だ。
男の子は物語の世界にはいないのかもしれない。
わが家も姫はファンタジーや恐怖の物語に今だって淫している感じだが
王子は小説は読まない
関心のあるものについての本ばかりだ
これまたオタクっぽいけれど
今読んでいるオルハン・パムクは すごいよ
妄想と空想の中を自己を離脱してまで感じる少年だったみたいだ
うっかり
自分が標準だと思っていたけれど
違うものねえ