この話の作者は
風の絵師を書いた人だ
この本は 朝鮮の世宗がハングルを作ったころの
政界の抗争と 殺人事件を扱った本だ
ハングル 知ってみたくなった
音声を文字にするのに
魔方陣やら 五行やら色々こじつけも対な関係性を織り込む話も面白く
二コリ
また遊びたくなった
朝鮮の事大主義も根深かったのだろうなあ
と思うが
日本だってねえ!!!??
この話の作者は
風の絵師を書いた人だ
この本は 朝鮮の世宗がハングルを作ったころの
政界の抗争と 殺人事件を扱った本だ
ハングル 知ってみたくなった
音声を文字にするのに
魔方陣やら 五行やら色々こじつけも対な関係性を織り込む話も面白く
二コリ
また遊びたくなった
朝鮮の事大主義も根深かったのだろうなあ
と思うが
日本だってねえ!!!??
昨日大塚先生と話していて
スーパーリアリズムが今はやっている
ということと
大塚先生はこういう絵の描き方をしていたら
絵が描けなくなるんじゃないか?
とおっしゃる
結構写真を見て描いたりしているし
写真を見てそれを写すなんて
面白くないことに
いつまっでもやっておれんだろう
という意味だろうか?
でも 克明に 写真にさえ写らないくらい
克明に描いて初めて伝わるものもあるんじゃないかという気がするけど
流行りだからそういう風に描くか?
普通?
浅はかな
で 調べてみたら 抽象画への反発
アメリカで始まった
って
そういえば ちょっとキッチュな絵というのもそれはそれで魅力だったりもした
でも
カウンターカルチャーみたいな
そういうの なんだか表面的な話
という気もする
そういうことで考えると
ボヘミア二ズム って カウンターカルチャーだよな
シャガールが有名になってから
立派な家に住むようになったけれど
奥さんは ボヘミアンな暮らしのほうが好きだったって
そういう話がある
シャガールは そういえば 威張りそうなおじさん
みたいなイメージがある
バルバラの 赤い橋の殺人の話の中に出てくる
ロドルフは 歌劇ラ・ボエームの原作者
ミュルジュールがモデルなのだけれど
この中で ボヘミアン という言葉が出てきて
色々考えてみたら面白かった
ボヘミアンというと 独特のイメージがある
芸術家気取り
というものも中にはある
芸術家って 気取ってみるもの という浅はかなことはよくわかる
でも 気取ってみたところで
中身はうすっぺら
ということはよくあることだし
だいたい芸術家が何を考えているか なんて わからないものだし
それは 個性の中のことだからわからないかと思いきや
今の 原発がらみの科学者たちの意見の別れよう
科学にしろ 芸術にしろ
真実って 揺らめくものだなあとしみじみ感じる
昨日 仲間うちで話していて
少し社会的にえらくなった場合
威張る 怒鳴る芸術家って
いいるという話
!!!
自分の見つけた真実に 弟子を隷属させたいのか?
すごく非芸術的な話だ
でも科学者たちの粘着的な喧嘩を見ていると
人間って そういう風にできているのかもな とも思う
科学にしろ芸術にしろ
特殊相対性理論みたいなもので
ある限定した関係のなかでの真実というものが多い
ということは 多分誰でも感じ
座標軸を変えてみたらばどうなるか
という
現実なり 芸術なりの奥の深いところには誰もが気づき
畏れを抱いたことがない人はいないだろうに
何で威張ったり怒鳴ったりできるんだろう
不思議だ