この本のアトリエインカーブの理念
そこに集うアーチストに
決して何か教えたりしない
著者自身100万人にひとりという障害を持っているのだけれど
障害というものについていろいろ考えさせられる
いわゆる 障害のない人が地球 星人
なら 障害を持つ人は別の星から来たんだから
地球のルールを当てはめるな
という考え方
脳の構造が別のしくみだとするなら
何が普通とか 正常とか 障害とか
そりゃおかしな話だ
けれど この なにも (教育的)働きかけをしない
ということで思い出した
美術教育の考え方にはいろいろは 派みたいなのがあって
私がたまたま参加するようになった研究団体の考え方
私はしっかり染まっていた
考え方として
納得していたつもりだったけれど
洗脳されていたな
と
なんだよ!今頃気づいても遅い!
創美というグループだったか
余計な(教育的)働きかけはしない
子どもの内側から出てくる意欲を大事にする
そういう考え方だと思っていた
(その内部にいたわけじゃないからわかんないけれど)
自由に絵を描けるようにすることと
発達の芽を摘むことは別のことだと思っていたけれど
問題は 発達の筋道について えらい勘違いをしていたと思う
障害児教育に携わる人たちの研究から
人の発達が なだらかに行く 飛躍する
そういう段差きついところが障害のある人には
引っかかるところで
障害のない子たちの躓きもそこをよく分析すると
段差をクリアできる働きかけができることに繋がると思い込んで来た
発達の筋道はすべての子供が同じ道を通ると
思い込んでいたからだ
円のファンファーレ ・・・
あれ これ検索しても出てこない
子供が最初に描く絵
ぐちゃぐちゃ描き 身体感覚で描いているのと
自分で描いたものを認識して統合出来たとき
丸をやたら描きまくる一瞬がある
と聞いて
それを実際に自分の子供に見て
それだけで
そういう考え方は 科学的なんだと思い込んだけれど
知的リアリズムから視覚的リアリズムへ
9歳の壁
というのも同じ筋道で考えていた
でも 小石川高校の美術の先生から聞いた話
ここに来る子の中に概念的な絵
9歳の壁の手前にいる子がいる
そういう子には その持っている概念を使って
絵を描いてもらう
という実践報告があったのを思い出した
その時
9歳の壁を意識しない先生も多いから
中学や高校で 発達段階はいろいろな子が出てくるんだと
思い込んでいたが
違うんだな
9歳の壁は壁じゃなかったんだ
ああ 今頃気づいたって遅い
でも 何も働きかけないということが 万能ではないと思う