ははは
嬉しいねえ
オホホホ
いひひひ
どうしよう
笑いが止まらないんだけど
病院に行く時
いつも巨大ホームセンターをうろついて
買い物したり眺めたり大好きなんだが
今日は休業中(初めてだよお休みにぶつかったのは)
今日は病院で血液検査もあるはずだったが
先生の頭にはなく
先生はいつもよりずっと遅く現れ
しかも採血後 検査結果が出るまで待ってたので
時間がたっぷり というわけで
延々と本が読めた
先生は くるのが早いんだよ
と おっしゃるが
「こういう無駄な時間が好きなの!本が読めるから」
と答えた
読んでいたのはマチス展の図録
2007年のもの
私 この展示の意図など読めず ただ好きな絵をたくさん見られて喜んでいただけだった
プロセスとヴァリエーションがテーマだったって
左がマチス1940年作 →はピカソ1931年
1945年に何とかいう画廊で
このような意図の展覧会があったそうだ
マチスは作品の制作過程を写真に撮っていたそうで
それと一緒に展示
こういう風に作品がかけられた周りに制作過程の写真が展示されて
たいそうな反響だったって
マチスは 一見荒っぽく
大変なスピードで簡単にこういう絵を描いたと思われているけれど
製作過程を展示することで若い芸術家たちへ
教育的なもくろみもあった
というようなことが書いてある
ピカソは3回も来たって
で 上に並べた作品を見て
ピカソがマチスの影響を受けたのかと思った
作品の成立年からすると
逆か!
色面と線との葛藤に悩み
この紫色のテーブルの面とそこに描かれている線が
ずらして描かれている
ピカソのはそういうことはない
>色面と線との葛藤
この意味するところ 私にはわからない
マチスは
キュビズムについてこう書いているそうだ
「キュビスト達の面の追及は現実に依存していました
抒情的な画家の場合
それは想像力の助けを借りたのです
絵に空間と奥行きを与えるのは想像力です
キュビズムは各対象の間に厳密に規定された空間を
観者の想像力に無理やり押し付けたのです。別の見方をすれば
キュビズムはある種の描写的レアリスムなのです」
マチスとピカソは仲が良かったけれど
それが長く続いたわけれはなく
異質なものを持つ二人の関係
という感じだったと思うけれど
この文章から なんとなく感じる
シャガールはピカソの絵はリアリズムだ だから駄目なんだ
風にけなしていて
カンディンスキーも 抽象画 というのは自分の絵の方が抽象画だ
ピカソはリアリズムじゃないか
そんな感じ
リアリズムって 悪口なのね
>キュビズムはある種の描写的レアリスム
これは 私も全面的にそう思う
だから 今の私には 新しい視点だから 興味がある
分かりやすいのだがね
マチスの絵が なんでこんなに魅力的なのか
ますます 謎が深まる
↓のクレーの図って弁証法的だよね
って
大して弁証法ってわかっちゃいないが
学生の時は デッサンは弁証法的にものを見る訓練だ
と教わったのでそういう風に考えるとそういう感じ
考えてみると
私の理解する弁証法って 2進法的だなあと思う
この間読んだ
この本を西洋の人が読んだら
分かりにくいことも多いかも
と思ったのは
五行説が盛んに出てくるから
って
東洋人の私も五行説なんてほとんど知らないけれど
五行説由来の文化圏だなというのは感じた
五色の簪
とか
母音が5個とか
ハングルは音を分析して文字に組み立てたのか?
ともかくそれを巡る話に
盛んに数字のパズルが出てくるので
数字って そういえば 人間が作ったんで
私たちの頭って そういう 鍵になる数字でものを考えている
弁証法にしろ二進法にしろ 世界を解釈するのに
まず 2つで見る よくわかる
五ってなによ
多分指の数よね
指が七本の動物だったら 七進法になったかも はは
文字が 頭のなかみを整理し 伝え合う道具だと考えると
日本の文字
漢字とひらがな
面白い
こういう文字を使うから出来上がった脳みそ
という面もある
一二進法ってバビロニアとかメソポタミアが起源だと思っていたけれど
よくわからない
でも一二進法を使いだした人たちのほうが
イメージの世界は壮大な感じがするし
一二進法は 物事を空間的立体的に考える脳を作る気がする
今朝はこういうことをぐちゃぐちゃ考える夢を見ていたような気がする
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
原発重大事故の起きたこの日本で
全部止まった原発を再稼働させる気の日本政府
私は本当に恥ずかしい
この間大和民族は絶滅危惧種だという話を聞いたけれど
この揺らぐ列島の上に住む 大和民族だろうが大陸から来た
南の島々から来た民族だろうが
絶滅危惧種か・・・・・
色々生き残るかもしれないけれど
なんかな
こういう重大事故を
どういう間隔で繰り返すか知らないけれど
日本人として恥ずかしい
電力会社の偉い人やや政府の偉い人が
原発労働を率先してやって
燃料プールにも潜水して見せるなら
少しは許すかもしれないけれど