遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

 牛久ビエンナーレ

2012-06-25 21:06:10 | 展覧会情報

Img931

↑ 私の絵はありません

チラシがもうないんだけれど

6月30日(土)13:00から

お話大好きコンサートがあるよ

お近くの人 来てね

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描き途中 アジサイ

2012-06-25 14:01:52 | 絵画

どうも家は気が散る

アジサイ描き途中

Img_1153

アジサイみたいな花は

本当に描くの面白い

人間は

何を見ているのか

チットも見ていないともいえるし

サキコサンガなんでそう描くのかわかんない

また同じ描き方になっちゃった

という意味がやっと分かった

見方が同じだからだ

というか

見てないからだと思っていたが

見ているんだ

あ サキコサンはこう見ているんだな

と思うとそれまでの自分の見方は消える

人間の眼がどう何を見ているかなんてのは

多分無限にありそうだ

自分が 美術教育で 発達の筋道

と思い込んでいたものは

とっても狭い一本道をたどるような考え方だなと思った

面白い

アンリ・ルッソーのプリミティブな描き方が

戦略なのか デッサンやら基本的な美術教育を受けてこなかったからだとか

意見が分かれていると

楽園のカンバスの中にあったけれど

それこそ

美術教育は受けたかもしれないが

作家になる過程は踏んでいない美術研究家って

かわいそうな気もした

ルッソーが 戦略なわけない

戦略 って 作家っていろいろ考えるものだというのは

大塚先生を通して少し知ったけれど

そんなん くだらない

とはいえ ピカソは戦略は使ったと思うけれど

大塚先生や美術研究家が言うのとは違う気がする

考えてみたら 美術の専門教育を受けるためにデッサンの勉強をしたり

テストがあったり

これは 篩にかけちゃうから

言い換えれば デッサンができる人しか専門教育を受けられないかもしれない

ルッソーみたいな人はそういうチャンスは巡らないかもしれない

ともかく

見たままを描いている

というけれど

見ているものが違うというのが面白い

アジサイなんか 千変万化する

それにしても

Yさんはアジサイは面倒くさいから好きじゃないみたいな

どこ欠いているかわからなくなるというか

そういう言い方をする

あれだけごちゃごちゃ描くのが好きなくせに

どう見ているんだろう?

謎だ


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