18時過ぎ
子供のいるあたりが
ゲリラ豪雨
雷だ↓
おへそ無事かなあ?
お写真を使ってよいと許可をいただいたので
96歳の遺言の入り口の画像を入れ替えました
久子さん チェックお願いします
昨日までの展覧会にあった水墨画に
胡椒点何たら という絵があった
どういうこと?と水墨画の人に聞いたら
そういう小さい点を使って樹木を描く技法だそうで
今では海綿などで描いて細かさを表現したり
っておっしゃったが
海綿で水彩画という技法もあるので同じねえ
とNさんは面白がっていた
で調べたら 点の描法がいろいろある
水墨画を習うのはそういうのを習ったりするらしい
で
水墨画について語る人は
西洋は物質的だが東洋の絵画は心を表す
などという
精神性を重んじることを優位に考えている風
それが何でこうも技法から入る話になるのだ?
超リアリズム作家の野田弘志
が言うことには
日本の絵画が世界的にはダメになったのは
徒弟制度が無くなったからだ
という意見だそうだけれど
訓練が必要だ という考え方って
東洋画の教育手順と
何かが似ている気がする
野暮用で・・・
と書きましたが
何が野暮用かというと
孫子兵法というドラマを見たのだけれど
見る暇がなく(20巻もあったのだよ)隙間を見てはそれを見たので
忙しかったのと お尻の痛みの原因になった
ハハハ
くだらない話だ
こういうものを見ていると 武蔵は人のことを何でも知ってると思って
やたら質問をする
(武蔵は剣道ばかりやってたので基礎学力がない
そういう自覚があるから
人に何でも質問する
わたしだって絵ばかり描いてて勉強はお留守だったんだよ)
孫子の時代は日本だと何?だとか
春秋時代の呉と三国時代の呉と全くコングラガっているし
そんなのコングラガっているのは普通だと思うけれど
ともかくやたら質問するから
ドラマを見るときは
これをテーブルの下に忍ばせてチェックするのだ
(結局教育されてんだよ
クソ!もとい うんち)
中国南北朝のところで
子供のころ
呉 東晋 宋 斉 梁 陳 と中国の南にできた王朝名を覚えた記憶があるけれど
皆ごちゃごちゃなのは 私も同じなんだけれど・・
孫子は出身は斉なんだけれど 上の斉とは違う
で活躍したのは 呉の国でだ(でも実在を疑う人もいる
なんせ 卑弥呼よりはるか昔の話だものなあ)
ともかくこの孫子のドラマはいろいろ面白いことが出てきた
わたしは朝鮮のドラマを見ていて
やたら恨みっぽいと思い
それは中国が朝鮮半島を蹂躙した歴史のせいだと思っていたけれど
この孫子の時代の楚 呉 越 の覇権争いの戦争を巡る恨みも
すごいや
臥薪嘗胆という耳慣れた言葉は
この呉と越の抗争から生まれたらしいけれど(後世に作られたのかもしれないけど)
恨み晴らさで置くものか~~~!!
って しつこくていやあね
と思うけれど・・・
なんか 現代まで引きずっている感じ
なぜ 私が(日本人が) 臥薪嘗胆なんて言葉を知ってるか
というと
なんてこった 日露戦争の スローガンだったんだって
日本も帝国主義的野望にあふれて くじかれて恨み骨髄
で 臥薪嘗胆 なんてのをスローガンにしたのか
ああああ
中国の思想的背景を背負って日本てなりたっているのかもしれない
このドラマの中で すぐれた武器を手に入れる攻防のエピソードがある
優秀な鍛冶職人が出てくるんだけれど
その人は 探し当てられたときは農機具を作っていた
鉄って このころもうあったのか?
西洋はどうだったのか?
と言い出すので調べた 春秋時代にもう鉄製の農機具は出てきていたらしい
春秋戦国時代位が中国の製鉄の始まりのようだ
西洋?西の方はヒッタイトだろう?と思ったが
ヒッタイトがどこにあったかいつごろの帝国だったか
全く記憶にはなかった
ヒッタイトって紀元前20世紀頃カッパドキアに本拠地を置いたんだってさ
知らなかった
で数百年後帝国に成長 そのころ製鉄技術も出来たんだろうけれど
その後の発掘で
もっと古い製鉄の遺跡の発掘とかあったらしいけれど
よく知らない
ヒッタイトが滅びて 製鉄技術は世界に飛び散った ようだ
なんか
ヒッタイトの物語って ないかな
読んでみたいな
・・・ しかし もう ドラマなんか見ない
時間食いすぎ
今日は 片付けないと