遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

ハグラウリの野菜餡かけ

2013-08-28 22:45:09 | 食べ物

たまには食べ物の写真

Img_8962

野菜餡ったって

茄子とピーマンとトマトだけ

あとひき肉ね

ひき肉明日まで置きたくないから

夜になったが作った

葱と人参も入れたいところだが

葱の収穫苦手 今日は調子悪いから人参固いから切りたくない

ひと手間かけりゃいいだけだけど

簡単に何でも済ませよう

はぐらうりって 茨城だけ?

わたしこっち来るまで聞いたことなかった

↑ どうよ

美味しそうでしょ?

美味しいわよ

器がいいわねえ?

誰作?

あたしに 決まってんじゃん!!

タイミングよすぎ 武蔵が剣道から帰ってきて

ぱくついてら!
私は明日にする

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今日の疲労の原因は?

2013-08-28 21:40:47 | 健康・病気

里山の帰りに買い物により

家に着いたときは

もう歩きたくないほど疲れていた

おばさんのアイスキャンデーを届けたが

お金を払うから待ってろというので

自分の家のアイスも溶けちゃうし まず買ったものを冷蔵庫に入れてから

取りに来るから

と言い置いて

冷蔵庫に入れるべきを入れ

車から荷物をおろし

ようようおばさんのところに来たが

お金は用意してないので

もう立っても座ってもいられない! 後にして!

武蔵が帰ってきたら武蔵にやって!というのに

すぐそこに金はある待ってろ

というのだ

鬼!

すぐ が何分かかると思ってるんだ

わたしは死にそうだ

ったっておばさんは借金があると思うと

居ても立っても居られない人なのでしょうがない

あああ もう 400円より 早く寝たい!

で 泥のように寝て 目覚めはよかったよ!

やっぱりねあの井戸ばたの硬直と痙攣は相当体力を使ったみたいだ

昼間は35度8分 さっきは36度8分

わたしのカンでは体温が変動するときはリウマチが動いている気がする

でも

明日は麦茶じゃなくポカリを水筒に入れて行こう

行けるかな?12時に温泉だしな

行かない方がいいかな

明日考えよう

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ブログ大学が忙しいぞ

2013-08-28 21:18:49 | 古代史

山里教授が古代史講義はじめた

わたしの弱い頭では追いつかず

プララのブログに相変わらずコメントできない

(さっきナツさんちはOKだった)

目を引いたのが

鉄の文化の移入

日本に入ってきたことがいろいろな説話に残っていて

浦島太郎やアメノヒボコや武内宿祢がだれかという話は

多分後の世代の人たちの

自分に引き寄せる作為が働いているだろうから

わたしは名前はどうでもいいのだ

(名前を覚えきれない境地だからというのもあるけどさ!)

鉄は2.3世紀に日本に伝わったのね

韓国ドラマを見ると 鉄はかなり重要な要素として出てくる話が多く

ま いつものデンデ まるで朝鮮半島が鉄文化発祥最高の技術

みたいな描き方だが

朝鮮半島に鉄が入ってきた物語ってないかなあ?

この間孫子の話のドラマを見てたらこれまた

武器をゲットする構想の中で

職人が農機具を作りたい 武器はもう作らないという話が出てくる

(結局武器を作るけど)

この時代 もう農機具に鉄使われてたんだ!

調べたら紀元前5世紀春秋時代に中国では農機具の鉄 普及始めた!

これ どういう風に朝鮮半島に伝わったか

知りたい

もっと西に行けばもっと古くヒッタイトの鉄文化がある

(これ 老人の基礎学力ではこうなるけど

もっと違う発見もあるらしい)

この辺も 調べると 鍛鉄文化と 鋳鉄文化は違うらしいのだが

(鍛造と鋳造の違いは分かるけれど)

歴史的地理的はどうなの?その技術の伝搬状況をイメージできるように知りたい

自分で調べろ?

やだあ

めんどくさい

山里教授の授業がいい!

わ~~い教えてくれたぞ!!

遊工房さん、こんにちは。
授業が始まったばかりで、出席も取っていないのに、
まだ単位はあげられません。
しかも、自分で調べもせず、『嫌だー!』とゴネて、
生徒が先生に課題をだすとは・・・。

いいよ、解ったよ!

製鉄が始まったのは、紀元前2000年くらいに遡ります。
エジプト時代ですね。
ヒッタイトからシルクロードを伝って、
タタール人が持ち込んだのでしょう。
中国では夏・殷・周と経て、
漢の時代に朝鮮半島の伽耶国(鉄が採掘された)を通って、
北九州にやってきたのです。
福岡市に多々良川がありますが、
蹈鞴(タタール)の痕跡です。

 

わ~~い教えてくれたぞ!!頭に入れたいのはこれだ

漢の時代に朝鮮半島の伽耶国(鉄が採掘された)を通って、

なるほど

色々つながってきた

タタール人 蹈鞴(タタール) 福岡市に多々良川

タタールかあ 多々良って窯場もあるよね

ふっくらとかっこいい壺

?佐賀県か

ダッタン人と言えば

わたし こういうイメージ

あと 蒼き狼に出てくる

ジンギスカンが征服を始めるころ

タタールをやっつけタイチュトをやっつけ・・と次々と

殲滅していく

何だ?

紀元前2000年とか1000年とかそういうときもタタールっていたのか!?

知らなかったけど

どうやらタタールって特別の部族民族を言うわけでもないみたい

上のダッタン人の踊りも 別の部族らしいし

タタールって聞くだけで ワクワクするね!

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たけくらべ2

2013-08-28 19:27:20 | 朗読

何かで割合最近樋口一葉のことは調べたことがあったりして

わたし何かで朗読したのか

しようと思って勉強したのか

忘れた

私が目指したのは にごりえ だったような気がする

自分のブログを検索してわかった

2009年4月の記事が出てきた↓

http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_75f8.html

わたしが朗読を初めて

初めての発表会で読んだのが

泉鏡花の「外科医」だった(すごい心臓)

← 外科医の台本用切り絵

近代文学って 私なんかから見るとほとんど古典で

そこんところ 原文で読むって もう一層 読み進めたい魅力があるけど

残念 朗読のお稽古やめちゃった

体力が持たないのだ

そこ行くと花てぼさんはすごいよな。

浅草というのも広くて

ホント 浅草寺の北側は革細工を教材にしたとき

材料を安く大量に手に入れるために紹介された工場を訪ねっていったくらいで

足を踏み入れてない

上の記事にも書いたが

戦死したほうの父は

若者時代浅草に下宿?してて

浅草オペラなんかに通い詰めたりしたようなのだ

だから 浅草には詳しかった

武蔵は若者時代 高校をでて中央郵便局に就職したが

あまりの安月給に驚き

彼は長男で 苦労した母を養わねばならない

親孝行をしなければならないのに

これじゃあ無理だ

と思ったんだって

それで職を離れ点々と大量の職業経験を積むことになる

(ほら 私と似てるだろう?私も相当の数の職業経験がある

わたしも武蔵も労働を大学として育った経緯が似てる)

で 親戚に浅草で豆腐屋を営む人がいて

そこで豆腐屋のお兄ちゃんとして行商してあるいた時代がある

まだ花魁とかいたんだってよ

で 豆腐屋のあんちゃんは 大いに贔屓されたそうだ

だから 彼は 浅草界隈は強い

豆腐やつながりの話もいろいろある

わたしの母方の祖父たちは豆腐屋だったこともある

じき病気になったり死んじゃったりするんだけど

富山から出てきて 両国界隈いで

飾り職人をやったり豆腐屋をやったりしたらしい

母はわたしという子連れで再婚した夫が生活力のない人でというか

家族を養う責任感のない人だったので

お店屋さんをやって(お菓子やパンを売る店をやってた)

わたしを育てた

わたしの出奔後もそうやって酔っ払いの父を養い

父の死後 私が病気になって青浮腫んだ母をそこから引っ剥がすまで

小さい商売を続けて自分で生きてきた

それに力になってくれたのが豆腐屋の行商のお兄ちゃんだ

彼は そういう小さい商売で細々生きている人たちの

組合みたいなのを(民商という)紹介してくれて

いろいろ助けてくれた

その組合に母が我が家に来たあと空き家になった松原の家を

事務所に貸してたのだった

豆腐はいい食べ物だけに

近しい性格の人がかかわって作る食べ物だなあと思う

何だ 豆腐や談義にどんどん脱線だ

田舎に来ても 山下屋という 贔屓の豆腐屋があるんだ

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里山に行った

2013-08-28 15:03:08 | 絵画

もう今月は土曜までだなあ

明日明後日温泉に行くと絵を描きに行けないなあ

Img_8959

 30号のパネルで描いているのだが

なかなか進みません

黄色いところ山みたいだけど

違います 里山というのは

里の暮らしに役立つ雑木林などを言うのです

背後の林に取りついている

土曜日は温泉に行かないから里山に行こうと思ったが

栗橋のおばさんが来るんだって

ええ!?いいや 食べ物用意してでかけちゃおう

今日は陣取りに手間取った

背後の林 当初は彩度の高い点々で描いてて

きれいだったがな

こういう背後の林を背後にやるのをどうやるか模索中

そこへ治さん(武蔵のまた従兄で

農業師匠で同級生)がやってきてしばしおしゃべり

栗橋のおばさんの話をしたら あまり知らないんだと言い

戦後のここの田舎の暮らしのなしになった

田舎から闇米を担いで入った話

わたしは 闇米を買う立場にいたわけだ

わが家にはこの近隣(でも栃木だな)石橋というところの農家のおばさんが

常連だった

着物もお雛様も皆その家に行った

プリンセスラインというウェストを絞ったスタイルが流行ったとき

わたしがうかつにも通学用のオーバーコートをそういう形に誂えた

(当時は衣類は誂えって多かったのだ

靴もだ そうしなければろくなものがなかったのだと思う)

超 似合わない!

もううんざりだった

それでそれを気に入った石橋のおばさんは自分の御嬢さんには似合う

といい

わが家はそれでお米を手に入れられたからだろう

コートもその家に行ったこういうやり取りは東京から見たもの

田舎から見るとまた別の視点があるというのが

だんだんわかってきた

というわけで

治さんとは戦後のかぼちゃやサツマイモの話もした

挙句 どっさり はぐらうりをもらったのだ

昔からわたしは食べ物をもらえるようにできているみたい

ありがとう!

さて 暑いので井戸水で冷えようと

井戸のポンプ押しに励んだ

これ好きなんだけど

ぎっこんバッタンやっているうち

体中が痛くなって硬直?痙攣?

しばしポンプに寄りかかって呆然としてしまった

坐骨神経痛とは全く別物だったんですけど

何でしょう

武蔵は 脱水じゃないの?というけど

水筒持って絶えず飲んでいるんですけど・・・

しばらくしたら収まったけど・・・

今朝でがけは37度あったが 今はへいねつにさがっている

いつもは朝 寝た後の楽ちんさで目覚めるのだが

今朝は 全くリウマチ患者っぽく

体がこわばって痛くて お風呂に入らないではいられなかった

なんかものすごく疲れた

昼寝する

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たけくらべ

2013-08-28 06:22:08 | 日本の本

はなてぼさんちで  たけくらべのことを読んだ

今朝の頭の体操は

15挙げやめて

たけくらべにする

たけくらべ 改めて原文で読んだ

なるほど当時は今言うさいちゅう(最中)をもなかと言ったのか

もなかの月が 15夜のお月様というのも知らなかった

もう というのを 最う と書いてあるのも私には珍しかった

最早 のことだもんね 昔はこう書いたのか?

あ 私がもの知らずなだけか

樋口一葉が本郷に住んでいた場所は

われわれが本郷に住んでいたところのすぐそばで

史跡になっているので

区民は皆知っている

ファイル:The well of ichiyo higuchi 2009.JPG

そこにある 一葉の井戸ったって共同井戸

里山にある井戸とそっくりね

で東京の井戸はこうやって

水の出る袋をかぶせるの

きっと水に鉄分が多いのだわ

文京区の路地は ちょっと入るとこういう井戸があって

井戸端会議 花咲いたろうなあという空間にぶつかる

文京区は史跡が多く

区の歴史に詳しい方たちが歴史散歩というイベントをよく行ってくださった

(前に清瀬の空襲の記録で活躍された定さんと彼の親友のHさんが

中心人物で

歴史に疎い私はいっぱい教わった)

たけくらべの舞台大門あたりの近くが

96歳遺言の久米さん  のお育ちになった近く

浅草のここら辺は

わたしもいろいろ縁がある がまた今度にしよう

一葉が引っ越していった竜泉のあたりは

近くにドヤ街の山谷もある

って わかった風なことを言っているが

わたしは行ったことはない

わたしはどこへでも一人でほっつき歩く子供だったけれど

父が 浅草と歌舞伎町は行ってはいけない

と厳しく言ったので

それらの地区は女一人でほっつき歩いちゃいけないところという

差別的刷り込みが いまだに消えない

ったってねえ お墓は 浅草だよ だいぶ南の方だけど・・

たけくらべを読んで

今回初めて気がついた

美登利は紀州の生まれで

お姉さんが身売りした時 一家そろって上京した

末は遊女になる定めの女の子だったわけ

それで 訛りが残ってて可愛いと言い

また吉原当たりの粋なおしゃれにはうとくて

田舎者とさげすまれていじめられたり

お姉さんの羽振りがいいので

小遣いばらまいて奢りまくったり

きゃんきゃんとおきゃんな娘に育っていく

まさに 江戸東京の物語だ

今だって東京は人々が日本全国から集まってくるところだから

こう

渡り合う文化ってのが東京文化だな

多分

それで

きつかったり おきゃんだったり ポンポンまくしたてる女が多い

(もともと深窓のお嬢で育ったような人は別です)

花てぼさんこれ朗読なさるのだろうなあ

羨ましいなあ

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方言調べで出身地当て

2013-08-28 03:39:21 | 原風景

http://ssl.japanknowledge.jp/hougen/

そういうサイトがあって

やってみたら

全ての質問にNOだった

出身地東京都と出たけれど

この方言形成期に千葉県にいた子供は千葉県って

出るんだろうか?そういう言葉があったか?

分からない

前に方言の本で都内の細かな分布図付のものを読んだことがある

細かなアクセントの違いなどで ずいぶん面積の狭い東京都だけれど

地区が分かれるので面白かった

子供のころ方言で話題になった最初の言葉は

ちゃわんむし

わたしはちゃんむしというけれど こっちが主流だったが

かなり多くの人がちゃわんむしというと主張

わたしはそのころは

親の出身地が西の人がちゃわんむしというのかな?

と思ったけれど

その都内の分布図にもちゃわんむしは載っていて

都内の場所によって いろいろある言葉のようだ

アクセント辞典には どっちも載ってて

ちゃんむし が先に載ってるそうだ

茨城は平板アクセントの県だからちゃわんむしというのかな?

どびんむしは

これが逆だそうだ

わたしはどびんむしはどびんむしという

でも土瓶蒸しなんて 宿屋や料理屋でしか食べたことがない

上のサイトの不満は東京方言っていっぱいあるのに

それで東京都を判断してくれないことだ

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