遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

禅病

2013-10-04 19:16:45 | ただの記事

昨日の続きで いろいろ調べてたら

禅病という言葉を初めて聞いた

こりゃだめだ

わたしの世界じゃないわ

考えて考えて

ノイローゼになるほど難しい命題を出して

精神疾患みたいなところに追い込んで

そうやって復帰してそれが悟りみたいな話には

ついて行かれません

考えることが苦痛になるような難しいことを考える脳みその持ち合わせもないし

病気になりそうになると

放り投げるし!

白隠さんてそんな人なの?

ま もうちょっと 調べないと決めつけられない気r°

白隠さんとか 蕭白さんとか

宇宙を猛スピードで駆け抜けるような

自由闊達なイメージだけどなあ

さて

明日は 朝から 当番です

瓢箪に絵を描くの やっておこうかと思ったけれど

気力がわかない

__

コスモスつながりというので

わたしもつながる

これは娘から

おばさん90歳誕生日にお花送れないから

写真撮ったの 見せて

メールに添付してきた

おばさんは絵葉書とか 入れ代わり立ち代わり楽しんでるから

これをはがき大の写真にして

フレームに入れて

ちよちゃんから 御誕生祝だよ と持って行ったら

でれでれに喜んでた

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無常と永遠

2013-10-04 03:58:49 | ただの記事

またリンク先のお坊さんの記事を読んで考えてしまった

この頃だんだんわたし 仏教徒っぽくなってきている

幼いころから宗教的なものが嫌いで

唯物論者の子供時代青年時代だったけれど

上のお坊さんの記事のきっかけは

母を亡くした娘さんのことから始まっている

死と初めて出会ったのは小学校の時

家の前で交通事故で近所のお兄さんが死んじゃった

すごくショックで

生きていた人が死んでしまう

それが

すごくショック

生まれて初めて 無常と出会ってしまった事件だった

思い返せば

わたしの幼少時を苦しめた宗教をめぐるあれこれは

大人たちの 戦争を巡る非情 無常を受け入れる

あるいは受け入れない

さまざまな苦しみが 私には理解できなかっただけで

こうやって思い出す ということは

それらのことの中にある 永遠の命ではないか

という気がする

そういうことって 個別的でもあり 普遍的でもあり

山里さんの話で古代史を思うと

それが 綿々と今に流れている不思議に思い至るものなあ

と 思った

見も知らぬ古代の人々は 確かにそうやって永遠を生きているよ

ここの所 ミロのことを考えたり

視覚的再現性の限界とか 考えたり

そうすると なんかとっても

無常と永遠の間を揺れ動いている

わたしって 仏教徒だなあと思っちゃうのよね

ま お坊さんには 内緒だ 笑われそうだもの

でも お坊さんって 面白いこと言うものなあ

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