前の方の記事で
犯罪者に関して
>人間のいろいろな形質が 正規分布しているなら 標本が多ければ多いほど その両極は極端だけれど いわば 自分と繋がっている病だということ
なんて書いたが、
昨日の「フジタとモンパルナスの仲間たち展」
を見て
芸術家に関して言うと
なんか違うかもしれないと思った。
友人が人間てどんぐりの背比べなんかじゃなく
とんでもない人がいるもんだと言っていたけれど
そうかもしれない。
これでもかって、一生懸命描いた絵って
見ていると
実は疲れる。
大きな公募展などは
友人や家族が入選すると見に行くけれど
個別に知っている人の絵は
そこに展開しているものを見て
とてもうれしいものだけれど、
出てきたときの疲労感は大変なものだ。
・
カンバスの中に、独自の世界を紡げる人って
これは生まれながらなのかな。
「独自の世界」と「様式」になってしまうのとは紙一重ね。
これは努力でどうにかなることではなく
持って生まれたものかもしれないと
「フジタ」展を見て思った。
・
見るということについては
年とともに見えるものが変わる
見切れるものも変わる
これはまた面白い
これはユトリロ
この右手のお店、見た覚えがある
私も描いたかな
と探した
この間フランスで、私がユトリロになって
描いた絵、場所は違った
フランスなんて
生まれて初めて行って
スケッチ
なんてすると
みんなでユトリロになってどうすんの
って思っちゃうけれど
まあ
私たちは楽しきゃいいのよ。
芸術家になる人は大変だね。
なれる人もなれない人も