2012. 6/15 1120
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その28
「かしこには石山もとまりて、いとつれづれなり。御文には、いといみじきことを書き集め給ひてつかはす。それだに心やすからず、『時方』と召して、大夫の従者の、心も知らぬしてなむやりける。『右近が古く知れりける人の、殿の御供にてたづね出でたる、さらがへりてねんごろなる』と、友達には言ひきかせたり。よろづ右近ぞ、そらごとしならひける」
――宇治では石山詣でも中止になって、つれづれな日を送っています。匂宮からは、逢えないために一層恋しさのつのるお気持をお書きになってお遣りになります。それだけでは安心できず、あの時方という大夫の従者で、事情など知らない者を使者として宇治に遣わされました。右近は、「私が昔懇意にした人が、薫の君のお供で来ていて、私を見つけ出したのですが、その者が、以前のように親しく使いを寄こすので」と周囲の女房たちには言って聞かせています。すべてに右近は嘘で固めているのでした――
「月もたちぬ。かう思し焦らるれど、おはしますことはいとわりなし。かうのみものを思はば、さらにえながらふまじき身なめり、と、心細さを添へて嘆き給ふ」
――こうしてその月も過ぎました。匂宮は、これほどお心が苛立っておいでになりましても、宇治にお出かけになるのは大そう難しく、こんなに物思いばかりしていては、とても生き長らえそうにもない、などと、心細さまで添って嘆いていらっしゃいます――
「大将殿、すこしのどかになりぬるころ、例の、忍びておはしたり。寺に仏など拝み給ふ。御誦経せさせ給ふ僧に、物賜ひなどして、夕つかた、ここには忍びたれど、これはわりなくもやつし給はず、烏帽子直衣の姿、いとあらまほしくきよげにて、歩み入り給ふより、はづかしげに、用意ことなり」
――薫の大将は、朝廷の行事も済んで、すこしのんびりなさった頃、いつもの通り、お忍びで宇治に来られました。まず、寺へお参りをして、仏などを拝まれ、御誦経(みずきょう)をおさせになる僧たちに御布施をなさったりして、夕がた、浮舟の家に忍んで来られました。そのお姿は匂宮と違って、烏帽子直衣のお姿は、まことに申し分なくお美しく、歩み入って来られるご態度も、こちらが恥かしくなるくらいご立派で、奥ゆかしさといい、お心づかいが格別にみえます――
「女、いかで見えたてまつらむとすらむ、と、そらさへはづかしく恐ろしきに、あながちなりし人の御ありさま、うち思ひ出でらるるに、またこの人に見えたてまつらむを思ひやるなむ、いみじう心憂き」
――女(浮舟)は、どのような態度で薫に顔をお合わせできようかと、天の目まで気が引けて恐ろしいというのに、あのように無理押しだった方(匂宮)から抱きしめられたことが目先にちらついて思い出され、こちらの薫大将にお逢いすることを考えますと、実に辛くてたまらないのでした――
「われは年ごろ見る人をも、皆思ひかはりぬべき心地なむする、とのたまひしを、げにその後御心地苦しとて、いづくにもいづくにも、例の御ありさまならで、御修法など騒ぐなるを聞くに、またいかに聞きて思さむ、と思ふも、いと苦し」
――(匂宮が)自分は今まで愛した女でも、皆あなたに思い移るに違いない、そんな予想が(この年月出会った女たちが、みな厭になってしまいそうな気がする)すると、おっしゃっていらして、そのお言葉どおり、ご帰京後ご気分が悪いとおっしゃって、どの女のところへもいつものようにはお通いにはならず、ご祈祷などと周りが騒いでいるようなご様子を聞きますにつけ、私がこうしてまた、薫の君にお目にかかったとお聞きになりましたなら、どうお思いでしょうと、思うだけでも堪え難く辛いと思うのでした――
では6/17に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その28
「かしこには石山もとまりて、いとつれづれなり。御文には、いといみじきことを書き集め給ひてつかはす。それだに心やすからず、『時方』と召して、大夫の従者の、心も知らぬしてなむやりける。『右近が古く知れりける人の、殿の御供にてたづね出でたる、さらがへりてねんごろなる』と、友達には言ひきかせたり。よろづ右近ぞ、そらごとしならひける」
――宇治では石山詣でも中止になって、つれづれな日を送っています。匂宮からは、逢えないために一層恋しさのつのるお気持をお書きになってお遣りになります。それだけでは安心できず、あの時方という大夫の従者で、事情など知らない者を使者として宇治に遣わされました。右近は、「私が昔懇意にした人が、薫の君のお供で来ていて、私を見つけ出したのですが、その者が、以前のように親しく使いを寄こすので」と周囲の女房たちには言って聞かせています。すべてに右近は嘘で固めているのでした――
「月もたちぬ。かう思し焦らるれど、おはしますことはいとわりなし。かうのみものを思はば、さらにえながらふまじき身なめり、と、心細さを添へて嘆き給ふ」
――こうしてその月も過ぎました。匂宮は、これほどお心が苛立っておいでになりましても、宇治にお出かけになるのは大そう難しく、こんなに物思いばかりしていては、とても生き長らえそうにもない、などと、心細さまで添って嘆いていらっしゃいます――
「大将殿、すこしのどかになりぬるころ、例の、忍びておはしたり。寺に仏など拝み給ふ。御誦経せさせ給ふ僧に、物賜ひなどして、夕つかた、ここには忍びたれど、これはわりなくもやつし給はず、烏帽子直衣の姿、いとあらまほしくきよげにて、歩み入り給ふより、はづかしげに、用意ことなり」
――薫の大将は、朝廷の行事も済んで、すこしのんびりなさった頃、いつもの通り、お忍びで宇治に来られました。まず、寺へお参りをして、仏などを拝まれ、御誦経(みずきょう)をおさせになる僧たちに御布施をなさったりして、夕がた、浮舟の家に忍んで来られました。そのお姿は匂宮と違って、烏帽子直衣のお姿は、まことに申し分なくお美しく、歩み入って来られるご態度も、こちらが恥かしくなるくらいご立派で、奥ゆかしさといい、お心づかいが格別にみえます――
「女、いかで見えたてまつらむとすらむ、と、そらさへはづかしく恐ろしきに、あながちなりし人の御ありさま、うち思ひ出でらるるに、またこの人に見えたてまつらむを思ひやるなむ、いみじう心憂き」
――女(浮舟)は、どのような態度で薫に顔をお合わせできようかと、天の目まで気が引けて恐ろしいというのに、あのように無理押しだった方(匂宮)から抱きしめられたことが目先にちらついて思い出され、こちらの薫大将にお逢いすることを考えますと、実に辛くてたまらないのでした――
「われは年ごろ見る人をも、皆思ひかはりぬべき心地なむする、とのたまひしを、げにその後御心地苦しとて、いづくにもいづくにも、例の御ありさまならで、御修法など騒ぐなるを聞くに、またいかに聞きて思さむ、と思ふも、いと苦し」
――(匂宮が)自分は今まで愛した女でも、皆あなたに思い移るに違いない、そんな予想が(この年月出会った女たちが、みな厭になってしまいそうな気がする)すると、おっしゃっていらして、そのお言葉どおり、ご帰京後ご気分が悪いとおっしゃって、どの女のところへもいつものようにはお通いにはならず、ご祈祷などと周りが騒いでいるようなご様子を聞きますにつけ、私がこうしてまた、薫の君にお目にかかったとお聞きになりましたなら、どうお思いでしょうと、思うだけでも堪え難く辛いと思うのでした――
では6/17に。