2013. 6/9 1264
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その56
「『御前にだにつつませ給はむことを、ましてこと人はいかでか』と聞えさすれど、『さまざまなることにこそ。またまろはいとほしきことぞあるや』とのたまはするも、心得て、をかしと見たてまつる」
――(小宰相は)「中宮様でさえご遠慮あそばしますことを、まして私などがどうして申せましょう」と申し上げますが、中宮様が「それは人や事がらによりましょう。それに私の口から言っては気の毒なわけもありますから」と仰せられますので、小宰相は、匂宮とのいきさつもあってのことだと心得て、中宮の濃やかなお心遣いを心に深く思うのでした――
「立ち寄りて物語りなどし給ふついでに、言ひ出でたり。めづらかにあやし、と、いかでかはおどろかれ給はざらむ。宮の問はせ給ひしも、かかることをほの思し寄りてなりけり、などかのたまはせ果つまじき、とつらけれど、われもまた、はじめよりありしさまのこと聞えそめざりしかば、聞きてのちもなほをこがましき心地して、人にすべて洩らさぬを、なかなかほかには聞ゆることもあらむかし」
――(薫が)小宰相の所に立ち寄られて世間話をなさったついでに、小宰相は、僧都の話されたことをつぶさにお話しました。大将は世にも珍しく不思議なことと、どうしてお驚きにならずにいられましょう。いつぞや中宮がお訊ねになられたのも、それとなく思い当たられることがおありだったにちがいない。それならどうして最後までお話にならなかったのかと恨めしいが、思えば自分もこの事については何一つ申し上げてはいなかったのだから、今事情を聞いて、実はこれこれと今更お話するのも愚かしい気がして、いくら人に隠し置いても、却って人は噂をしていることなのだろう――
「うつつの人々の中に忍ぶることだに、隠れある世の中かは、など思ひ入りて、この人にも、さなむありし、など明かし給はむことは、なほ口重き心地して、『なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さてその人はなほあらむや』とのたまへば、」
――現在生きている人の間で秘密にすることでさえ、隠しきれる世間だろうか、などと考えこまれますが、それでもなお、この人に事情を明かすのはためらわれて、「それにしても、不思議に思った女の事に良く似た話ですね。ところでその人はまだ生きているのだろうか」とおっしゃる――
「『かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる、いみじうわづらひし程にも。見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深き由を言ひてなりつる、とこそ侍るなりしか』と言ふ」
――(小宰相は)「あの僧都が山を降りられた日に、その人を尼にしたそうです。ご病気がひどく悪かった時にも、人々がみな、惜しがって尼にはおさせにならなかったのに、ご本人の強いご本意だからと言うので、出家してしまったということでございます」といいます――
では6/11に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その56
「『御前にだにつつませ給はむことを、ましてこと人はいかでか』と聞えさすれど、『さまざまなることにこそ。またまろはいとほしきことぞあるや』とのたまはするも、心得て、をかしと見たてまつる」
――(小宰相は)「中宮様でさえご遠慮あそばしますことを、まして私などがどうして申せましょう」と申し上げますが、中宮様が「それは人や事がらによりましょう。それに私の口から言っては気の毒なわけもありますから」と仰せられますので、小宰相は、匂宮とのいきさつもあってのことだと心得て、中宮の濃やかなお心遣いを心に深く思うのでした――
「立ち寄りて物語りなどし給ふついでに、言ひ出でたり。めづらかにあやし、と、いかでかはおどろかれ給はざらむ。宮の問はせ給ひしも、かかることをほの思し寄りてなりけり、などかのたまはせ果つまじき、とつらけれど、われもまた、はじめよりありしさまのこと聞えそめざりしかば、聞きてのちもなほをこがましき心地して、人にすべて洩らさぬを、なかなかほかには聞ゆることもあらむかし」
――(薫が)小宰相の所に立ち寄られて世間話をなさったついでに、小宰相は、僧都の話されたことをつぶさにお話しました。大将は世にも珍しく不思議なことと、どうしてお驚きにならずにいられましょう。いつぞや中宮がお訊ねになられたのも、それとなく思い当たられることがおありだったにちがいない。それならどうして最後までお話にならなかったのかと恨めしいが、思えば自分もこの事については何一つ申し上げてはいなかったのだから、今事情を聞いて、実はこれこれと今更お話するのも愚かしい気がして、いくら人に隠し置いても、却って人は噂をしていることなのだろう――
「うつつの人々の中に忍ぶることだに、隠れある世の中かは、など思ひ入りて、この人にも、さなむありし、など明かし給はむことは、なほ口重き心地して、『なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さてその人はなほあらむや』とのたまへば、」
――現在生きている人の間で秘密にすることでさえ、隠しきれる世間だろうか、などと考えこまれますが、それでもなお、この人に事情を明かすのはためらわれて、「それにしても、不思議に思った女の事に良く似た話ですね。ところでその人はまだ生きているのだろうか」とおっしゃる――
「『かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる、いみじうわづらひし程にも。見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深き由を言ひてなりつる、とこそ侍るなりしか』と言ふ」
――(小宰相は)「あの僧都が山を降りられた日に、その人を尼にしたそうです。ご病気がひどく悪かった時にも、人々がみな、惜しがって尼にはおさせにならなかったのに、ご本人の強いご本意だからと言うので、出家してしまったということでございます」といいます――
では6/11に。