2013. 6/25 1272
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その6
「『まかり下りむこと、今日明日は障り侍る。月たちての程に、御消息を申させ侍らむ』と申し給ふ。いと心もとなけれど、なほなほと、うちつけに焦られむも、さまあしければ、さらば、とて帰り給ふ」
――(僧都は)「山を下りますには、今日、明日は差し障りがございます。月が変わりました時分に、御文をお送りするようにいたさせましょう」と申し上げます。薫はたいそう待ち遠しくお思いになりますが、それでもと、ぶしつけに急きたてますのも体裁悪く、見ぐるしいので、それではとお約束なさってお帰りになりました――
さて、
「かのせうとの童、御供に率ておはしたりけり。こと兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出で給ひて、『これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一くだり賜へ。その人とはなくて、ただたづねきこゆる人なむある、とばりの心を、知らせ給へ』とのたまへば…」
――(薫は)浮舟の弟の小君を横川へのお供に連れておいでになりました。他の兄弟たちよりは容貌も美しいこの小君を呼び出されて、僧都に、「この子がその女の近親なのですが、これをさしあたり使いに出しましょう。どうぞお手紙を一筆書いてお渡しください。誰それと名を示さず、ただ行方をお探しする方が居ると、それだけの内容を知らせておやりください」とおっしゃると――
「『なにがし、このしるべにて、必ず罪得侍りなむ。ことのありさまは、くはしくとり申しつ。今は御みづから立ち寄らせ給ひて、あるべからむことは、ものせさせ給はむに、なにの咎か侍らむ』と申し給へば、…」
――「拙僧はこの手引きによって、必ず破戒の罪を蒙りましょう。事の次第はいっさい申し上げました。この上は御自身が小野にお立ち寄りになられて、お話しなさるべきことはお話になっても、何の差支えがございましょう」と申し上げますと――
「うち笑ひて、『罪得ぬべきしるべと、思ひなし給ふらむこそはづかしけれ。ここには、俗のかたちにて、今まで過ぐすなむいとあやしき。いはけなかりしより、思ふ志深く侍るを、三條の宮の心細げにて、たのもしげなき身ひとつをよすがに思したるが、さりがたきほだしに覚え侍りて、
かかづらひ侍りつる程に、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして…』」
――(薫は)にっこりとお笑いになって、「罪作りな御案内役とお考えになっておられるのでは、こちらがかえって恥かしくなります。私はこれまで俗人の姿で過ごしてきたのが、甚だ不思議なくらいなのです。幼い頃から出家の志が強かったのですが、母の女三宮が心細そうにして、頼もしげもない私一人を力にしておられるのが、避けがたいきずなに思われまして、とかく俗事に関わっておりますうちに、いつの間にか官位なども昇進して、わが身を勝手に振る舞うことができなくなってしまいました…」――
◆かつがつものせむ=(かつがつ=不満足ながら、まあまあ、)まあ、さしあたって使わせましょう。
では6/27に。
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その6
「『まかり下りむこと、今日明日は障り侍る。月たちての程に、御消息を申させ侍らむ』と申し給ふ。いと心もとなけれど、なほなほと、うちつけに焦られむも、さまあしければ、さらば、とて帰り給ふ」
――(僧都は)「山を下りますには、今日、明日は差し障りがございます。月が変わりました時分に、御文をお送りするようにいたさせましょう」と申し上げます。薫はたいそう待ち遠しくお思いになりますが、それでもと、ぶしつけに急きたてますのも体裁悪く、見ぐるしいので、それではとお約束なさってお帰りになりました――
さて、
「かのせうとの童、御供に率ておはしたりけり。こと兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出で給ひて、『これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一くだり賜へ。その人とはなくて、ただたづねきこゆる人なむある、とばりの心を、知らせ給へ』とのたまへば…」
――(薫は)浮舟の弟の小君を横川へのお供に連れておいでになりました。他の兄弟たちよりは容貌も美しいこの小君を呼び出されて、僧都に、「この子がその女の近親なのですが、これをさしあたり使いに出しましょう。どうぞお手紙を一筆書いてお渡しください。誰それと名を示さず、ただ行方をお探しする方が居ると、それだけの内容を知らせておやりください」とおっしゃると――
「『なにがし、このしるべにて、必ず罪得侍りなむ。ことのありさまは、くはしくとり申しつ。今は御みづから立ち寄らせ給ひて、あるべからむことは、ものせさせ給はむに、なにの咎か侍らむ』と申し給へば、…」
――「拙僧はこの手引きによって、必ず破戒の罪を蒙りましょう。事の次第はいっさい申し上げました。この上は御自身が小野にお立ち寄りになられて、お話しなさるべきことはお話になっても、何の差支えがございましょう」と申し上げますと――
「うち笑ひて、『罪得ぬべきしるべと、思ひなし給ふらむこそはづかしけれ。ここには、俗のかたちにて、今まで過ぐすなむいとあやしき。いはけなかりしより、思ふ志深く侍るを、三條の宮の心細げにて、たのもしげなき身ひとつをよすがに思したるが、さりがたきほだしに覚え侍りて、
かかづらひ侍りつる程に、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして…』」
――(薫は)にっこりとお笑いになって、「罪作りな御案内役とお考えになっておられるのでは、こちらがかえって恥かしくなります。私はこれまで俗人の姿で過ごしてきたのが、甚だ不思議なくらいなのです。幼い頃から出家の志が強かったのですが、母の女三宮が心細そうにして、頼もしげもない私一人を力にしておられるのが、避けがたいきずなに思われまして、とかく俗事に関わっておりますうちに、いつの間にか官位なども昇進して、わが身を勝手に振る舞うことができなくなってしまいました…」――
◆かつがつものせむ=(かつがつ=不満足ながら、まあまあ、)まあ、さしあたって使わせましょう。
では6/27に。