永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(38)(39)

2015年06月03日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (38)2015.6.3

「春うちすぎて夏ごろ、宿直がちになるここちするに、つとめて、一日ありて暮るればまゐりなどするをあやしうと思ふに、ひぐらしの初声きこえたり。いとあはれとおどろかれて、
<あやしくも夜のゆくへをしらぬかな今日ひぐらしの声は聞けども>
と言ふに、出でがたかりけんかし。」
◆◆春が過ぎて夏になるころ、宮中での宿直が多すぎるように思えるある日、宿直から帰って一日居て日が暮れるころ、これから又参内するとかでおかしいなあと思っていると、蜩の初鳴きが聞こえました。はっとさせられて、
(道綱母の歌)「夜になっていったいどこへ出かけるのでしょう。今日は夕方まで(日暮らし)わが家で声を聞いていたけれども」
と、言いますと、さすがに出かけにくかったようで、そのまま留まったのでした。◆◆


蜻蛉日記  上巻 (39) 2015.6.3

「かくてなでうことなければ、人のこころをなほたゆみなくこころみたり。月夜のころよからぬ物語して、あはれなるさまのことども語らひてもありしころ、思ひ出でられて、ものしければ、かく言はる。
<こもりよの月とわが身のゆくすゑのおぼつかなさはいづれまされり>
◆◆こうして、特にこれということもなく日が過ぎてゆくので、私はあの人の心を信じて頼みにしていたのでした。月夜のころ、月光をあびながら語り合うなど不吉なことをするにつけても、あの人がしみじみと誠意のこもった話をしてくれた昔が思い出されて、寂しくなって、こう口ずさむと、
(道綱母の歌)「今夜の曇り空の月と私の将来のはっきりしないことの、おぼつかないと言う点ではどちらが上かしら」◆◆


「返りごと、たはぶれのやうに、
<おしはかる月は西へぞ行先はわれのみこそは知るべかりけれ>
など、たのもしげに見ゆれど、わが家とおぼしき所は異になんあんめれば、いと思はずにのみぞ世はありける。さいはひある人のためには、年月みし人もあまたの子など持たらぬを、かくものはかなくて、思ふことのみしげし。」
◆◆あの人の返事は、冗談にまぎらわせて、
(兼家の歌)「曇りの夜で見えなくても、月は西へ向うと決まっている。同じように、あなたの将来を世話するのは、私の他にいないでしょう」
などと、いかにも頼もしげにみえるけれど、あの人が結局自分の居場所とするのは、ここではなく時姫方の所のようであってみれば、思ってもみなかった結果になってしまったことだったのでした。幸運にめぐまれたあの人に連れ添ったものの、わたしは大勢の子どもに恵まれず、こうしたことを思うにつけ、寂しく思い悩むことばかり多いのでした。◆◆

■作者は、時姫と正妻の座を争ったが、大勢の子を持った時姫に結局は敗れた。時姫の出自は身分的には作者より下だった。作者の気位の高さから、この敗北は相当なものだったと思われる。