蜻蛉日記 上巻 (42) 2015.6.14
「里にもいそがねど、心にしまかせなば、今日、みな出でたつ日になりぬ。来しときは、膝に臥し給へりし人を、いかで安らかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ、さりともと思ふこころ添ひてたのもしかりき。こたみは、いと安らかにてあさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじう悲し。下りて見るにも、さらに物おぼえず悲し。」
◆◆京のわが家に急いで帰る気はしないけれど、思い通りにはできないので、今日皆で出立日としました。山寺へ来たときは、私の膝に臥していられた母上を、なんとか楽なようにと思って、自分は汗びっしょりになりながら、きっとこのままではないという希望もあったのでした。でもこの度は、ゆったりと楽に車に乗れたけれども、道中はひどく悲しい。家についてあたりをみるにつけ、さらにさらに寂しく悲しいのでした。◆◆
「もろともに出でゐつつつくろはせし草なども、わづらひしよりはじめてうち捨てたりければ、生ひこりていろいろに咲き乱れたり。わざとのことなども、みなおのがとりどりすれば、我はただつれづれとながめをのみして、『ひとむらのすすき虫の音の』とのみぞ言はるる。」
<手触れねど花は盛りになりにけりとどめおきける露にかかりて>
などぞおぼゆる。」
◆◆生前、端近かに母と一緒に出て、庭の手入れをさせた花々も、病気になって以来ずうっと打ち捨ててあったので、生い茂って色とりどりに咲き乱れていました。母のための供養もみながそれぞれ思い思いにしているので、私はただぼんやりと所在無くばかりで、「ひとむらのすすき虫の音」という古歌ばかりを口ずさんでいるのでした。
(道綱母の歌)「手入れもしない花が盛りと咲いています。母上が生前丹精をこめておられたおかげで」
などと、感じられたのでした。◆◆
「これかれぞ、殿上などもせねば、穢らひも一つにしなしためれば、おのがじじひきつぼねなどしつつあめるなかに、我のみぞまぎるることなくて、夜は念仏の声ききはじむるよりやがて泣きのみ明かさる。」
◆◆私の兄弟など近親の男達は、殿上に出仕する者もいませんので、めいめいが部屋を几帳や屏風などめぐらして喪に服しているらしい中で、私だけは悲しみの紛れることがなく、夜は念仏の声がはじまるときから、一晩中泣き明かしてしまうのでした。◆◆
「四十九日のこと、たれも欠くことなくて家にてぞする。わがしる人、おほかたのことを行ひためれば、人々おほくさしあひたり。わが心ざしには、仏をぞ描かせたる。その日過ぎぬれば、皆おのがじし行きあかれね。ましてわが心ちは心ぼそうなりまさりて、いとどやるかたなく、人は、かう心ぼそげなるを思ひて、ありしよりは繁うかよふ。」
◆◆四十九日の法要は、だれも欠けることなくわが家で行いました。私の夫が諸事万端を取りはかってくれたようで、大勢の人が参会しました。わたしは供養の志を表すため仏像を描かせました。その日が過ぎてしまうと、みなめいめい引き上げて行ってしまい、わたしはますます心細い気持ちが増してどうしようもなく、あの人は私の心細い様子を察して、以前よりは足しげく通って来てくれました。◆◆
■新たに 上村悦子著 蜻蛉日記全訳注 を参考にさせていただいています。
「里にもいそがねど、心にしまかせなば、今日、みな出でたつ日になりぬ。来しときは、膝に臥し給へりし人を、いかで安らかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ、さりともと思ふこころ添ひてたのもしかりき。こたみは、いと安らかにてあさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじう悲し。下りて見るにも、さらに物おぼえず悲し。」
◆◆京のわが家に急いで帰る気はしないけれど、思い通りにはできないので、今日皆で出立日としました。山寺へ来たときは、私の膝に臥していられた母上を、なんとか楽なようにと思って、自分は汗びっしょりになりながら、きっとこのままではないという希望もあったのでした。でもこの度は、ゆったりと楽に車に乗れたけれども、道中はひどく悲しい。家についてあたりをみるにつけ、さらにさらに寂しく悲しいのでした。◆◆
「もろともに出でゐつつつくろはせし草なども、わづらひしよりはじめてうち捨てたりければ、生ひこりていろいろに咲き乱れたり。わざとのことなども、みなおのがとりどりすれば、我はただつれづれとながめをのみして、『ひとむらのすすき虫の音の』とのみぞ言はるる。」
<手触れねど花は盛りになりにけりとどめおきける露にかかりて>
などぞおぼゆる。」
◆◆生前、端近かに母と一緒に出て、庭の手入れをさせた花々も、病気になって以来ずうっと打ち捨ててあったので、生い茂って色とりどりに咲き乱れていました。母のための供養もみながそれぞれ思い思いにしているので、私はただぼんやりと所在無くばかりで、「ひとむらのすすき虫の音」という古歌ばかりを口ずさんでいるのでした。
(道綱母の歌)「手入れもしない花が盛りと咲いています。母上が生前丹精をこめておられたおかげで」
などと、感じられたのでした。◆◆
「これかれぞ、殿上などもせねば、穢らひも一つにしなしためれば、おのがじじひきつぼねなどしつつあめるなかに、我のみぞまぎるることなくて、夜は念仏の声ききはじむるよりやがて泣きのみ明かさる。」
◆◆私の兄弟など近親の男達は、殿上に出仕する者もいませんので、めいめいが部屋を几帳や屏風などめぐらして喪に服しているらしい中で、私だけは悲しみの紛れることがなく、夜は念仏の声がはじまるときから、一晩中泣き明かしてしまうのでした。◆◆
「四十九日のこと、たれも欠くことなくて家にてぞする。わがしる人、おほかたのことを行ひためれば、人々おほくさしあひたり。わが心ざしには、仏をぞ描かせたる。その日過ぎぬれば、皆おのがじし行きあかれね。ましてわが心ちは心ぼそうなりまさりて、いとどやるかたなく、人は、かう心ぼそげなるを思ひて、ありしよりは繁うかよふ。」
◆◆四十九日の法要は、だれも欠けることなくわが家で行いました。私の夫が諸事万端を取りはかってくれたようで、大勢の人が参会しました。わたしは供養の志を表すため仏像を描かせました。その日が過ぎてしまうと、みなめいめい引き上げて行ってしまい、わたしはますます心細い気持ちが増してどうしようもなく、あの人は私の心細い様子を察して、以前よりは足しげく通って来てくれました。◆◆
■新たに 上村悦子著 蜻蛉日記全訳注 を参考にさせていただいています。