蜻蛉日記 中卷 (79)の2 2015.11.7
「ゐ中の家のまへの浜づらに松原あり。鶴群れてあそぶ。『二つ歌あるべし』とあり。
<浪かけの見やりに立てる小松原こころをよすることぞあるらし>
<松のかげ真砂のなかとたづぬるはなにの飽かぬぞ鶴の群鳥>
網代のかたあるあるところあり。
<網代木に心をよせて日をふればあまたのよこそ旅寝してけれ>
浜辺に、漁火ともし、釣舟などあるところあり。
<いさり火も海人の小舟ものどけかれ生けるかひある浦にきにけり>
女くるま、もみぢ見けるついでに、また、もみぢおほかりける人の家にきたり。
<よろづよをのべのあたりにすむ人はめぐるめぐるや秋を待つらん>
など、あぢきなくあまたにさへ強ひなされて、これらが中に、漁火と群鳥とはとまりにけりと聞くに、ものし。」
◆◆田舎家の前の浜辺に松原があり、鶴がたくさん集まって遊んでいる。その絵には「二首歌を詠んでください」とあります。
(道綱母の歌)「あの波打ち際に生えている小松原は、千代の友として群舞する鶴に心を寄せているようです。」
(道綱母の歌)「鶴の群れたちよ、あちらの松の陰、こちらの砂の中をまだあさりまわっているのは、この上何の不測があってのことでしょう」
網代の絵のあるところがあります。
(道綱母の歌)「氷魚を寄せてとる網代を愛でて日を送ったので、幾夜も旅寝を重ねてしましました。」
浜辺で漁火をともし、釣舟などのあるところの絵があります。
(道綱母の歌)「漁火も海人の小舟も、のどかであってほしいと願われます。生きた貝もあり、まことに生きがいのある美しいこの景色のこの浦にやってきたのですから。」
女車が、紅葉見物をしたついでに、また紅葉のたくさんある家に立ち寄っている絵には、
(道綱母の歌)「末長くこの野辺近くに住む人は、毎年毎年紅葉の美しい秋の訪れを待ち望んでいることでしょう。」
など、気が進まないのに、幾首も幾首も無理やり詠まされさえもして、これらの中で「漁火」と「むら鳥」の歌とが採用になったと聞くに付け、何となくおもしろくない気持ちであった。◆◆
「ゐ中の家のまへの浜づらに松原あり。鶴群れてあそぶ。『二つ歌あるべし』とあり。
<浪かけの見やりに立てる小松原こころをよすることぞあるらし>
<松のかげ真砂のなかとたづぬるはなにの飽かぬぞ鶴の群鳥>
網代のかたあるあるところあり。
<網代木に心をよせて日をふればあまたのよこそ旅寝してけれ>
浜辺に、漁火ともし、釣舟などあるところあり。
<いさり火も海人の小舟ものどけかれ生けるかひある浦にきにけり>
女くるま、もみぢ見けるついでに、また、もみぢおほかりける人の家にきたり。
<よろづよをのべのあたりにすむ人はめぐるめぐるや秋を待つらん>
など、あぢきなくあまたにさへ強ひなされて、これらが中に、漁火と群鳥とはとまりにけりと聞くに、ものし。」
◆◆田舎家の前の浜辺に松原があり、鶴がたくさん集まって遊んでいる。その絵には「二首歌を詠んでください」とあります。
(道綱母の歌)「あの波打ち際に生えている小松原は、千代の友として群舞する鶴に心を寄せているようです。」
(道綱母の歌)「鶴の群れたちよ、あちらの松の陰、こちらの砂の中をまだあさりまわっているのは、この上何の不測があってのことでしょう」
網代の絵のあるところがあります。
(道綱母の歌)「氷魚を寄せてとる網代を愛でて日を送ったので、幾夜も旅寝を重ねてしましました。」
浜辺で漁火をともし、釣舟などのあるところの絵があります。
(道綱母の歌)「漁火も海人の小舟も、のどかであってほしいと願われます。生きた貝もあり、まことに生きがいのある美しいこの景色のこの浦にやってきたのですから。」
女車が、紅葉見物をしたついでに、また紅葉のたくさんある家に立ち寄っている絵には、
(道綱母の歌)「末長くこの野辺近くに住む人は、毎年毎年紅葉の美しい秋の訪れを待ち望んでいることでしょう。」
など、気が進まないのに、幾首も幾首も無理やり詠まされさえもして、これらの中で「漁火」と「むら鳥」の歌とが採用になったと聞くに付け、何となくおもしろくない気持ちであった。◆◆