蜻蛉日記 中卷 (81)の4 2015.11.22
「持になりにければ、まづ陵王舞ひけり。それもおなじほどの童にて、わが甥なり。馴らしつるほど、ここにて見、かしこにて見など、かたみにしつ。されば、次に舞ひて、おぼえによりてや、御衣賜りたり。」
◆◆引き分けになったので、両方で舞うことになり、始めに前方の舞として、陵王を舞いました。その子もわが子と同じ年頃の子で、私の甥でした。練習していた頃、ここでも見たり、あちらで見たりお互いにし合っていました。そうして次にわが子が舞って、好評だったからでしょうか、御衣を賜りました。◆◆
「内よりは、やがて車の後に陵王も乗せて、まかでられたり。ありつるやう語り、『わが面を起こしつること。上達部どもの皆泣きらうたがりつること』など、かへすかへすも泣く泣く語らる。」◆◆あの人は内裏から陵王を舞った甥も一緒に乗せて帰ってこられました。事の次第を語り、『あの子の首尾で私の面目を大いに立ててくれたこと、上達部(かんだちめ)どもが皆涙をながして、愛おしそうにしていたよ』などと、くり返しくり返し涙にむせびながらお話をされたのでした。◆◆
「弓の師よびにやる。さてまたここにてなにくれとて物かづくれば、憂き身かともおぼえず、うれしきことぞものに似ね。その夜も、後の二三日まで、知りと知りたる人、法師にいたるまで、『若君の御よろこびきこえば、々』と、おこせ言ふを聞くにも、あやしきまでうれし。」
◆◆そして弓の師匠を呼びにやり、彼が来るとまた何やかやとご祝儀を与えるので、私は辛い身の上だなどと思うこともすっかり忘れて、うれしく思うことは何にも比べようがない。その夜もその後の二、三日まで、ありとあらゆる人が、法師に至るまで「若君のお喜びを伺いまして」などと、使者を寄こしたり、直接見えたりするのを聞くに付けても、この上ないうれしさであった。◆◆
■持になりにければ、まづ陵王舞ひけり=引き分けになったときの決まりで、両者とも舞う。
■道綱は納蘇利(なそり)を舞った。写真
「持になりにければ、まづ陵王舞ひけり。それもおなじほどの童にて、わが甥なり。馴らしつるほど、ここにて見、かしこにて見など、かたみにしつ。されば、次に舞ひて、おぼえによりてや、御衣賜りたり。」
◆◆引き分けになったので、両方で舞うことになり、始めに前方の舞として、陵王を舞いました。その子もわが子と同じ年頃の子で、私の甥でした。練習していた頃、ここでも見たり、あちらで見たりお互いにし合っていました。そうして次にわが子が舞って、好評だったからでしょうか、御衣を賜りました。◆◆
「内よりは、やがて車の後に陵王も乗せて、まかでられたり。ありつるやう語り、『わが面を起こしつること。上達部どもの皆泣きらうたがりつること』など、かへすかへすも泣く泣く語らる。」◆◆あの人は内裏から陵王を舞った甥も一緒に乗せて帰ってこられました。事の次第を語り、『あの子の首尾で私の面目を大いに立ててくれたこと、上達部(かんだちめ)どもが皆涙をながして、愛おしそうにしていたよ』などと、くり返しくり返し涙にむせびながらお話をされたのでした。◆◆
「弓の師よびにやる。さてまたここにてなにくれとて物かづくれば、憂き身かともおぼえず、うれしきことぞものに似ね。その夜も、後の二三日まで、知りと知りたる人、法師にいたるまで、『若君の御よろこびきこえば、々』と、おこせ言ふを聞くにも、あやしきまでうれし。」
◆◆そして弓の師匠を呼びにやり、彼が来るとまた何やかやとご祝儀を与えるので、私は辛い身の上だなどと思うこともすっかり忘れて、うれしく思うことは何にも比べようがない。その夜もその後の二、三日まで、ありとあらゆる人が、法師に至るまで「若君のお喜びを伺いまして」などと、使者を寄こしたり、直接見えたりするのを聞くに付けても、この上ないうれしさであった。◆◆
■持になりにければ、まづ陵王舞ひけり=引き分けになったときの決まりで、両者とも舞う。
■道綱は納蘇利(なそり)を舞った。写真