永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(89)

2015年12月27日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (89) 2015.12.27

「つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心ととく死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いとかなしき。人となして、うしろやすからん妻などにあづけてこそ、死にも心やすからんとは思ひしか、いかなる心地してさすらへんずらんと思ふに、なほいと死にがたし。」
◆◆つくづくと思いつづけていることは、やはり何とかして自分から死んでしまいたいと思うより他に何もありませんが、ただ息子の道綱一人を思うととても悲しくなってしまうのでした。一人前にして安心できる妻に任せた後ならば、死ぬにしても気が楽であろうと思っていたのに、もし私が今死んだら、あの子はどんな気持ちで、よりどころもなく、心細く暮してゆくだろうと思うと、はやりどうしても死にきれない。◆◆



「『いかがはせん、かたちをかへて、世を思ひ離るやと心みん』と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、『さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ、なにせんにかは世にもまじろはん』とて、いみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさにたはぶれに、言ひなさんとて、『さて鷹飼はでは、いかがし給はむずる』と言ひたれば、やをら立ちはしりて、し据ゑたる鷹をにぎり放ちつ。」
◆◆私が、「どうしましょう。仕方が無い。尼となって、この世のことを思い捨てられるか、ひとつ試してみようかと思うのだけれど」と話すと、まだ子供で深い事情も分らないであろうが、ひどくよよと声を立ててなきじゃくり、『そうおなりなさるならば、私も法師になって暮しましょう。なんで世間の人たちにまじって暮しましょうか。』と言って、またさらに一層泣くので、私も涙をこらえきれないけれど、あまりの真剣さに悲しくもあったけれど、冗談に紛らわそうと、『では、法師におなりになって、鷹を飼えなくなったらどうするの』と言うと、道綱はおもむろに立ち上がり、走って行って、木に止まらせておいた鷹をつかんで空に放してしまったのでした。◆◆



「見る人も涙せきあへず、まして日暮らしかなし。心地におぼゆるやう、
<あらそへば思ひにわぶるあまくもにまづそる鷹ぞかなしかりける>
とぞ。
日暮るるほどに、文みえたり。天下そらごとならんと思へば、『ただいま心地あしくて、え今は』とてやりつ。」
◆◆見ていた侍女たちも涙をこらえきれず、まして私は日がな一日中悲しくて仕方がないのでした。心に浮かんだのは、
(道綱母の歌)「夫との仲がうまく行かないので苦しく尼になろうと思う私より先に、鷹を手放し剃髪しようとする道綱が不憫でならない」と。
その日、日が暮れる頃にあの人から手紙がきました。まったくの口からのでまかせなんだろうと思ったので、「ただいまは、気分がすぐれませんので、今はご返事ができません」と言って、使いを返したのでした。◆◆


■人となして=一人前にして。このとき道綱は元服前だったので。

■さくりも=しゃくりあげて。か。

■天下(てんげ)そらごとならん=あきれた、まったくの口からのでまかせなんだろう。