蜻蛉日記 下巻 (189) その1 2017.5.11
「さてその日ごろ選びまうけつる廿二日の夜、ものしたり。こたみはさきざきのさまにもあらず、いとづしやかになりましりたる物から、責むるは、さまいとわりなし。『殿の御許されは道なくなりにたり。そのほどはるかにおぼえはべるを、御かへりみにていかでとなん』とあれば、『いかにおぼして、かうはのたまふ。そのはるかなりとのたまふほどにや、初ごともせんたなん見ゆる』と言へば、『いふかひなきほども、物がたりはするは』と言ふ。」
◆◆さて右馬頭は、その、前から選び定めておいた二十二日の夜、訪れてきました。今度は今までと違って重々しく振る舞ってはいるものの、こちらを責めることはなんともはなはだしい。「殿(兼家)からお許しをいただいていた四月の結婚がダメになってしまいました。八月とはとても先のことと思われますので、あなたさまのご配慮によりまして、なんとか縁組を早めていただけないかと存じまして」と言うので、「どうしてそのようなことをおっしゃるのでしょうか。その八月までの間に、あの娘も初ごとをみるようになろうかとおもわれます」と言うと、「幼くても、話ぐらいはいたしますよ」と言います。◆◆
「『これはいとさにはあらず。あやにくに面ぎらひするほどなればこそ』など言ふも、聞きわかぬやうに、いとわびしく見えたり。『胸走るまでおぼえはべるを、この御簾のうちにだにさぶらふと思ひ給へて、まかでん。ひとつひとつをだになすことにし侍らん。かへりみさせ給へ』と言ひて、簾に手をかくれば、いとけうとけれど聞きも入れぬやうにて、『いたうふけぬらんを、例はさしもおぼえ給ふ夜になんある』とつれなう言へば、」
◆◆「この子はほんとうにそうではありません。あいにく人見知りする年齢ですから」と言うのにも、聞き分けられないようながっかりした様子です。「胸が(思い焦がれて)やきもきしていますので、せめて、この御簾の内にだけでも伺候できましたらとおもいまして、そうして退出したいと思います。せめてどちらか(養女との対面と)一つなりと、思いをかなえたいと思いますので、是非ご高配ください」と言って、御簾に手を掛けるので、たいそう気味が悪く、右馬頭の言葉を聞かなかったふりをして、「大変夜も更けてしまったようですが(夜が更けるといつでもこんなことをなさるのですかの意)。とそっけなく言いますと、◆◆
「『いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ。あさましういみじう、かぎりなううれしと思ひたまふべし。御暦も軸もとになりぬ。悪くきこえさする御気色もかかり』など、おりたちてわびいりたれば、いとなつかしさに、『なほいとわりなきことなりや。院に、内裏になどさぶらひ給ふらん昼間のやうにおぼしなせ』など言へば、『そのことの心は苦しうこそはあれ』とわびいりてこたふるに、いといふかひなし。」
◆◆右馬頭が「ほんとうにこれほどまで冷たくあしらわれますとは思いもよりませんでした。お声を聞かせていただいただけでもうれしいと思うことにいたしましょう。御暦も残り少なくなってまいりました。無礼なことを申し上げてご機嫌を損じまして」などと、とてもしょげ返っていますので、少し同情を覚えて、「やはり御簾の内にお入れするのは無理なお頼みです。院や内裏に伺候なさる昼間のようなお心もちにおなりください。」と言うと、「そのような格式ばった心持でいることは耐えられません」と気落ちしたようすで答えますので、全くどうして良いのか分らない。◆◆
■づしやかに=重々しく
■初ごと(ういごと)=初めての懸想文(歌)のやり取りをすることか。
「さてその日ごろ選びまうけつる廿二日の夜、ものしたり。こたみはさきざきのさまにもあらず、いとづしやかになりましりたる物から、責むるは、さまいとわりなし。『殿の御許されは道なくなりにたり。そのほどはるかにおぼえはべるを、御かへりみにていかでとなん』とあれば、『いかにおぼして、かうはのたまふ。そのはるかなりとのたまふほどにや、初ごともせんたなん見ゆる』と言へば、『いふかひなきほども、物がたりはするは』と言ふ。」
◆◆さて右馬頭は、その、前から選び定めておいた二十二日の夜、訪れてきました。今度は今までと違って重々しく振る舞ってはいるものの、こちらを責めることはなんともはなはだしい。「殿(兼家)からお許しをいただいていた四月の結婚がダメになってしまいました。八月とはとても先のことと思われますので、あなたさまのご配慮によりまして、なんとか縁組を早めていただけないかと存じまして」と言うので、「どうしてそのようなことをおっしゃるのでしょうか。その八月までの間に、あの娘も初ごとをみるようになろうかとおもわれます」と言うと、「幼くても、話ぐらいはいたしますよ」と言います。◆◆
「『これはいとさにはあらず。あやにくに面ぎらひするほどなればこそ』など言ふも、聞きわかぬやうに、いとわびしく見えたり。『胸走るまでおぼえはべるを、この御簾のうちにだにさぶらふと思ひ給へて、まかでん。ひとつひとつをだになすことにし侍らん。かへりみさせ給へ』と言ひて、簾に手をかくれば、いとけうとけれど聞きも入れぬやうにて、『いたうふけぬらんを、例はさしもおぼえ給ふ夜になんある』とつれなう言へば、」
◆◆「この子はほんとうにそうではありません。あいにく人見知りする年齢ですから」と言うのにも、聞き分けられないようながっかりした様子です。「胸が(思い焦がれて)やきもきしていますので、せめて、この御簾の内にだけでも伺候できましたらとおもいまして、そうして退出したいと思います。せめてどちらか(養女との対面と)一つなりと、思いをかなえたいと思いますので、是非ご高配ください」と言って、御簾に手を掛けるので、たいそう気味が悪く、右馬頭の言葉を聞かなかったふりをして、「大変夜も更けてしまったようですが(夜が更けるといつでもこんなことをなさるのですかの意)。とそっけなく言いますと、◆◆
「『いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ。あさましういみじう、かぎりなううれしと思ひたまふべし。御暦も軸もとになりぬ。悪くきこえさする御気色もかかり』など、おりたちてわびいりたれば、いとなつかしさに、『なほいとわりなきことなりや。院に、内裏になどさぶらひ給ふらん昼間のやうにおぼしなせ』など言へば、『そのことの心は苦しうこそはあれ』とわびいりてこたふるに、いといふかひなし。」
◆◆右馬頭が「ほんとうにこれほどまで冷たくあしらわれますとは思いもよりませんでした。お声を聞かせていただいただけでもうれしいと思うことにいたしましょう。御暦も残り少なくなってまいりました。無礼なことを申し上げてご機嫌を損じまして」などと、とてもしょげ返っていますので、少し同情を覚えて、「やはり御簾の内にお入れするのは無理なお頼みです。院や内裏に伺候なさる昼間のようなお心もちにおなりください。」と言うと、「そのような格式ばった心持でいることは耐えられません」と気落ちしたようすで答えますので、全くどうして良いのか分らない。◆◆
■づしやかに=重々しく
■初ごと(ういごと)=初めての懸想文(歌)のやり取りをすることか。