二二 すさまじきもの (35)その2 2018.3.1
ちごの乳母の、「ただあからさま」とていぬるを、もとむれば、とかく遊ばしなぐさめて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえまゐらじ」とて、返しおこしたる、すさまじうのみにもあらず、にくさわりなし。
◆◆乳飲み子の乳母が、「ちょっとの間出てきます(家に帰る)」といって出かけていったのを、乳飲み子が乳母を探すので、とにかくどうにか遊ばせていて、「早く帰って来い」と言ってやったのに、「今夜は帰ることができません」ということで、そうした返事をこちらに寄こしているのは、興ざめなだけでなく、なんともにくらしい。◆◆
女など迎ふる男、ましていかならむ。待つ人のある所に、夜すこしふけて、しのびやかに門をたたけば、胸すこしつぶれて、人出だし問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじといふ中にも。
◆◆愛人である女性を呼び迎える男が、こんな目にあったら、ましてどんな気がするだろう。また、待つ人のある女の家で、夜が少し更けてから、しのびやかにそっと門をたたくので、胸がどきどきして、人を使って訊ねさせれば、それではない、別のつまらない者が名のってやって来ているのも、かえすがえすも興ざめだという中でも、とりわけて……。◆◆
■愛人である女性を呼び迎える男=男は女のもとに通うのが普通であるが、事情によっては逢引の場などに女を呼び出すことがあった。萩谷氏は、女の家に通っていた男がいよいよ女を自分の家に迎え入れる段になって拒否される場合を考える、とする。
験者の、物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせて、せみ声にしぼり出だしよみゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、あつまりて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、時のかはるまでよみ困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あないと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまに、かしらさくりあげて、欠伸をおのれうちして、寄り臥しぬる。
◆◆修験者が、物の怪という人にとりついて病気などのたたりをする死霊・生霊・妖怪を調伏するといって、たいへん得意顔で、「憑座(よりまし)」に独鈷や数珠などを持たせて、蝉のような声に、絞り出して経を読んで座っているけれど、「物の怪」は少しも退散する様子もなく、「憑座(よりまし)」に護法童子もつかないので、一家中集まってじっと祈念して座っているのに、そして男も女も一家中が変だと思ううちに、刻限のかわるまで二時間も読みつづけて疲れて、「いっこうに憑かない。立ってしまえ」といって、憑座(よりまし)から数珠を取り返して、「ああ、ひどく効験がないなあ」といって、額から上の方に頭を手でしゃくるようにかきあげて、欠伸を自分からして、物に寄りかかって寝てしまうの。◆◆
■護法=護法童子。仏法守護のために使役される、人の目に見えぬ鬼神。
ちごの乳母の、「ただあからさま」とていぬるを、もとむれば、とかく遊ばしなぐさめて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえまゐらじ」とて、返しおこしたる、すさまじうのみにもあらず、にくさわりなし。
◆◆乳飲み子の乳母が、「ちょっとの間出てきます(家に帰る)」といって出かけていったのを、乳飲み子が乳母を探すので、とにかくどうにか遊ばせていて、「早く帰って来い」と言ってやったのに、「今夜は帰ることができません」ということで、そうした返事をこちらに寄こしているのは、興ざめなだけでなく、なんともにくらしい。◆◆
女など迎ふる男、ましていかならむ。待つ人のある所に、夜すこしふけて、しのびやかに門をたたけば、胸すこしつぶれて、人出だし問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじといふ中にも。
◆◆愛人である女性を呼び迎える男が、こんな目にあったら、ましてどんな気がするだろう。また、待つ人のある女の家で、夜が少し更けてから、しのびやかにそっと門をたたくので、胸がどきどきして、人を使って訊ねさせれば、それではない、別のつまらない者が名のってやって来ているのも、かえすがえすも興ざめだという中でも、とりわけて……。◆◆
■愛人である女性を呼び迎える男=男は女のもとに通うのが普通であるが、事情によっては逢引の場などに女を呼び出すことがあった。萩谷氏は、女の家に通っていた男がいよいよ女を自分の家に迎え入れる段になって拒否される場合を考える、とする。
験者の、物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせて、せみ声にしぼり出だしよみゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、あつまりて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、時のかはるまでよみ困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あないと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまに、かしらさくりあげて、欠伸をおのれうちして、寄り臥しぬる。
◆◆修験者が、物の怪という人にとりついて病気などのたたりをする死霊・生霊・妖怪を調伏するといって、たいへん得意顔で、「憑座(よりまし)」に独鈷や数珠などを持たせて、蝉のような声に、絞り出して経を読んで座っているけれど、「物の怪」は少しも退散する様子もなく、「憑座(よりまし)」に護法童子もつかないので、一家中集まってじっと祈念して座っているのに、そして男も女も一家中が変だと思ううちに、刻限のかわるまで二時間も読みつづけて疲れて、「いっこうに憑かない。立ってしまえ」といって、憑座(よりまし)から数珠を取り返して、「ああ、ひどく効験がないなあ」といって、額から上の方に頭を手でしゃくるようにかきあげて、欠伸を自分からして、物に寄りかかって寝てしまうの。◆◆
■護法=護法童子。仏法守護のために使役される、人の目に見えぬ鬼神。