永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(55)その4、その5

2018年05月01日 | 枕草子を読んできて
四二  小白川といふ所は   (55)その4  2018.5.1

 中納言「さて呼び返されつるさきには、いかが言ひつる。これやなほしたる事」と問ひたまへば、「久しく立ちて侍りつれど、ともかくも侍りざりつれば、『さはまゐりなむ』とて帰りはべるを、呼びて」など申す。「たれが車ならむ。見知りたりや」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、みなゐしづまり、そなたをのみ見るほどに、この車はかい消つやうに失せぬ。下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃き単襲に、二藍の織物、蘇芳の薄物のうは着などにて、しりに、摺りたる裳、やがてひろげながらうちかけなどしたるは、何人ならむ。何かは。人のかたほならむことよりは、げにと聞こえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる。
◆◆中納言は、「それで、呼び返された前には、何と言ったのか。これは言い直した返事か」とお問いになると、「長い間立っていましたけれど、どうという返事もございませんでしたので、『それでは、このまま帰参してしまいましょう』といって帰りますのを、呼んで」などと申し上げる。「誰の車だろう。見て知っているか」などとおっしゃるうちに、講師が講座にあがってしまったので、みな座って静かになり、講師の方ばかり見ているうちに、この女車はかき消すように見えなくなってしまった。車は下簾などは、ただ今日使いはじめたばかりと見えて、濃い紅の単襲に、二藍の織物、蘇芳色の薄物の表着(うわぎ)などの服装で、車の後ろに、模様を摺り出してある裳を、そのまま広げながら、打掛などしてあるのは、いったい何者なのだろうか。あの返事もどうして。人がなまじ不完全な返事をしようよりは、なるほどもっともだと聞こえて、かえってとてもよいと感じられる。◆◆


■下簾(したすだれ)=車の前後にある簾の内側に掛ける長い布。余りの部分を簾の外に出して垂らしておく。
■濃き単襲)(こきひとえがさね)=濃い紅の単えかさね。



四二  小白川といふ所は   (55)その5  2018.5.1

 朝座の講師清範、高座の上も光満ちたる心地して、いみじくぞあるや。暑さのわびしさに、しさすまじき事の、今日過ぐすまじきをうちのきて、ただすこし聞きて帰りなむとしつるを、しきなみにつどひたる車の奥になりたれば、出づべき方もなし。朝の講果てなば、いかで出でなむとて、前なる車どもに消息すれば、近く立たむがうれしさに、「はや」と引き出であけて出だすを見たまひて、いとかしがましきまでひとごといひに老上達部さへ笑ひにくむ、聞きも入れでいらへもせで、せばかり出づれば、権中納言、「やや、まかりゐぬるもよし」とて、うち笑ひたまへるぞめでたき。それも耳にもとまらず、暑きにまどひ出でて、人して「五千の中には入らせたまはぬやうもあらじ」と聞こえかけて帰り出でにき。
◆◆

■朝座(あさざ)=法華八講は朝夕二座おこなう。
■清範(せいはん)=法相宗の僧。文殊の化身といわれた当時の説経の名人。
■しきなみに=頻並(しきなみ)。あとからあとから立て続けに。
■まかりぬるもよし~=『法華経』方便品「是ノ如キ増上慢ノ人退クモ亦佳し」によって戯れたもの。釈迦が法を説こうとしたとき、五千人の増上慢(悟りを得たと思って高ぶっている人)が座を立って退いた。釈迦はこれを制止せずに上のように言ったという。
■五千の中に~=中納言に対するしっぺ返し。同じ故事によって、「釈迦をきどるあなたこそ五千の増上慢の一人でしょう」と言ったもの。




 そのはじめより、やがて果つる日まで立てる車のありけるが、人寄り来とも見えず、すべてただあさましう絵などのやうにて過ごしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかで知らむ、と問ひたづねけるを聞きたまひて、藤大納言「何かめでたからむ。いとにくし。ゆゆしき者にこそあンなれ」とのたまひけるこそをかしけれ。
 さてその二十日あまり、中納言の法師になりたまひにしこそあはれなりしか。桜などの散りぬるも、なほ世の常なりや。「老いを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御ありさまにぞ。
◆◆その八講のはじめから、そのまま終わる日まで毎日立っている車があったのが、そこから人が寄って来るとも見えず、総じてまったくあきれるばかりに絵かなにかのようでじっと動かずに過ごしたので、珍しく、すばらしく、奥ゆかしくて、いったいどんな人なのだろう、どうかして知りたいものだ、と人に聞いて探したことをお聞きになって、藤大納言が「何ですばらしいことがあろう。ひどく感じが悪い。なんとなく不気味な者だろうよ」とおっしゃったのこそおもしろい。
 さてそうしてその月の二十日すぎに、中納言が法師におなりになってしまったのこそ、しみじみと心に染みて覚えたことであった。桜などが散ってしまうのも、それにくらべれば、やはり世の常のことであるよ。「老いを待つ間の」とさえ言えないようなはかない中納言の御盛りのご様子であったことだ。◆◆

■中納言の法師に=寛和二年(986)六月二十四日、前日の花山天皇の落飾退位を追って義懐(よしちか)は出家した。