九四 宮の五節出ださせたまふに(107) その2
若き人の、さる顕証のほどなれば、言ひにくきにやあらむ、返しもせず、そのかたはらなるおとな人たちもうち捨てつつ、ともかくも言はぬを、宮司などは、耳とどめて聞きけるに、久しくなりにけるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとに寄りて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなるに、四人ばかりをへだててゐたれば、よく思ひ得たらむにも言ひにくし、まして歌よむと知りたる人のおぼろけならざらむは、いかでかとつつましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそは言へ」と、爪はじきをしありくも、いとほしけれ、
◆◆(小弁は)年若い人で、このような人目に立つ場所柄なので、言いにくいのであろうか、返歌もしない。またその側にいる年かさの女房たちも聞き捨てにして、何にも言わないのを、中宮職の役人などは、今返歌があるのかどうかと、耳をすまして聞いたのだったが、ないまま長くなってしまっていたたまれなくなり、別の方から入って、女房の側に寄って、「どうしてこんなに返歌しないのか」などと、ささやいているが、(私は)この小弁とは四人ほど座を隔てて座っているので、もし返歌を思いついても言いにくい、まして歌を上手に詠むと知っている中将の並一通りではなさそうな歌に対しては、どうして返歌ができようかと、つい遠慮してしまうのは良くないことだ。「歌を詠む人がそんなでどうする。まあ立派には出来なくても、即座にこそ詠むものだ」と、中宮職の役人がやきもきして指先をならして回るのも、気の毒なので、◆◆
■爪(つま)はじき=気に入らないことなどがある時、指の先を鳴らす動作。
うす氷あはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを
と弁のおもとといふに伝へさするに、消え入りつつえも言ひやらず。「などかなどか」と耳をかたむけて問ふに、すこしことどもりする人の、いみじうつくろひめでたしと聞かせむと思ひければ、えも言ひつづけずなりぬるこそ、なかなか恥隠す心地してよかりしか。
◆◆(作者の歌)うす氷は淡く凍っている氷なのですから、日光がさすと解けるだけのことですよ―やんわりと解けやすく結んだ紐なのですから、日陰のかずらをかざすだけでゆるんだだけのことです。
と弁のおもとという女房に中継ぎさせて中将に伝えさせるのに、弁は臆してしまって人心地もない様子で、その歌を言い終えることもできない。中将が「何ですか、何ですか」と耳を傾けて尋ねるけれど、すこし言葉をどもる人が、ひどく気取ってすばらしいと聞かせようと思ったので、言いつづけることも出来ないで終ってしまったのこそは、かえって私の下手な歌を詠んだ恥を隠す気持ちがして良かった。◆◆
おりのぼる送りなどに、なやましと言ひ入りぬる人をも、のたまはせしかば、ある限り群れ立ちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげなンめれ。舞姫は、相尹の馬頭のむすめ、染殿の式部卿の宮のうへの御おとうとの四の君の御はら、十二にていとをかしげなり。果ての夜も、おひかへにもさわがず。やがて仁寿殿より通りて、清涼殿御前の東の簀子より、舞姫を先にて、うへの御局へまゐりしほどをかしかりき。
◆◆舞姫が御殿から下がったり上がったりするときの送りなどに、気分が悪いと言って引っ込んでしまった女房たちをも、中宮様が出仕するようにと仰せになったので、いる限りの女房たちがこの五節所に群れ立って、他から出す舞姫とは違ってあまりにも煩わしそうである。中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭(かみ)の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であって大層可愛らしい。最後の夜もオヒカヘ(不審)にも騒がない。舞の終わった後、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の簀子から、舞姫を先に立てて、中宮様の上の御局へ参上した折もおもしろかった。◆◆
■相尹(すけまさ)=藤原相尹。右大臣師輔の孫。
■染殿(そめどの)の式部卿の宮のうへ=村上帝皇子為平親王。「うへ」はその妃で
左大臣源高明の娘。
■おひかへにもさわがず=不審。「負ひ被き出でも騒がす」(疲労して人に背負われて退出するような騒ぎもなくて)。
*写真は舞姫の舞い。
若き人の、さる顕証のほどなれば、言ひにくきにやあらむ、返しもせず、そのかたはらなるおとな人たちもうち捨てつつ、ともかくも言はぬを、宮司などは、耳とどめて聞きけるに、久しくなりにけるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとに寄りて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなるに、四人ばかりをへだててゐたれば、よく思ひ得たらむにも言ひにくし、まして歌よむと知りたる人のおぼろけならざらむは、いかでかとつつましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそは言へ」と、爪はじきをしありくも、いとほしけれ、
◆◆(小弁は)年若い人で、このような人目に立つ場所柄なので、言いにくいのであろうか、返歌もしない。またその側にいる年かさの女房たちも聞き捨てにして、何にも言わないのを、中宮職の役人などは、今返歌があるのかどうかと、耳をすまして聞いたのだったが、ないまま長くなってしまっていたたまれなくなり、別の方から入って、女房の側に寄って、「どうしてこんなに返歌しないのか」などと、ささやいているが、(私は)この小弁とは四人ほど座を隔てて座っているので、もし返歌を思いついても言いにくい、まして歌を上手に詠むと知っている中将の並一通りではなさそうな歌に対しては、どうして返歌ができようかと、つい遠慮してしまうのは良くないことだ。「歌を詠む人がそんなでどうする。まあ立派には出来なくても、即座にこそ詠むものだ」と、中宮職の役人がやきもきして指先をならして回るのも、気の毒なので、◆◆
■爪(つま)はじき=気に入らないことなどがある時、指の先を鳴らす動作。
うす氷あはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを
と弁のおもとといふに伝へさするに、消え入りつつえも言ひやらず。「などかなどか」と耳をかたむけて問ふに、すこしことどもりする人の、いみじうつくろひめでたしと聞かせむと思ひければ、えも言ひつづけずなりぬるこそ、なかなか恥隠す心地してよかりしか。
◆◆(作者の歌)うす氷は淡く凍っている氷なのですから、日光がさすと解けるだけのことですよ―やんわりと解けやすく結んだ紐なのですから、日陰のかずらをかざすだけでゆるんだだけのことです。
と弁のおもとという女房に中継ぎさせて中将に伝えさせるのに、弁は臆してしまって人心地もない様子で、その歌を言い終えることもできない。中将が「何ですか、何ですか」と耳を傾けて尋ねるけれど、すこし言葉をどもる人が、ひどく気取ってすばらしいと聞かせようと思ったので、言いつづけることも出来ないで終ってしまったのこそは、かえって私の下手な歌を詠んだ恥を隠す気持ちがして良かった。◆◆
おりのぼる送りなどに、なやましと言ひ入りぬる人をも、のたまはせしかば、ある限り群れ立ちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげなンめれ。舞姫は、相尹の馬頭のむすめ、染殿の式部卿の宮のうへの御おとうとの四の君の御はら、十二にていとをかしげなり。果ての夜も、おひかへにもさわがず。やがて仁寿殿より通りて、清涼殿御前の東の簀子より、舞姫を先にて、うへの御局へまゐりしほどをかしかりき。
◆◆舞姫が御殿から下がったり上がったりするときの送りなどに、気分が悪いと言って引っ込んでしまった女房たちをも、中宮様が出仕するようにと仰せになったので、いる限りの女房たちがこの五節所に群れ立って、他から出す舞姫とは違ってあまりにも煩わしそうである。中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭(かみ)の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であって大層可愛らしい。最後の夜もオヒカヘ(不審)にも騒がない。舞の終わった後、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の簀子から、舞姫を先に立てて、中宮様の上の御局へ参上した折もおもしろかった。◆◆
■相尹(すけまさ)=藤原相尹。右大臣師輔の孫。
■染殿(そめどの)の式部卿の宮のうへ=村上帝皇子為平親王。「うへ」はその妃で
左大臣源高明の娘。
■おひかへにもさわがず=不審。「負ひ被き出でも騒がす」(疲労して人に背負われて退出するような騒ぎもなくて)。
*写真は舞姫の舞い。