NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

復興奉行 伊奈半左衛門

2013年03月25日 | 日記
3月6日にNHKテレビで放映された「歴史秘話ヒストリア 江戸の復興奉行・奇跡の4年~宝永地震・富士山大噴火」は、とても見応えがありました。

元禄時代、宝永4年11月に発生した富士山の噴火は、小田原藩領約10万石のうち6割が火山灰で埋まるという大災害でした。
幕府は永代橋の架橋や深川の埋め立て工事で業績のあった伊奈半左衛門を復興奉行に任命し、酒匂川の氾濫防止、農地の回復、農民の救済などを命じました。
一方、幕府は全国の大名に復興資金の拠出を命じて50万両を集めましたが、復興に使ったのは6万両ほどで、残りは江戸城の増築などに流用してしまったとのことです。

厳しい財源で孤軍奮闘した半左衛門は、酒匂川の堤防工事に農民を雇用して飢饉救済を図り、灰没田畑を下層の土を表層の土と入れ替える「天地返し」という手法で再生させるなど並々ならぬ手腕を発揮しましたが、復興奉行就任から4年後に亡くなっています。詳細な記録は残されていませんが、富士山麓の須走にある半左衛門を祀った伊奈神社の由来によると、幕府貯蔵米を餓死寸前の被災民に施したことが江戸表に伝わり罰せられたとされています。

復興奉行の設置=復興大臣の設置、幕府による復興資金の流用=各省庁による復興予算の流用、灰没田畑を天地返しにより再生=放射能で汚染された田畑を天地返しで再生しようとしている福島県の有機農業者の試み
江戸時代と現代、驚くほど似た状況だと思いませんか。唯一異なるのは、東日本大震災と原発事故の復興に関わっている政治家と官僚が、間違っても神社に祀られることはないだろうということです。

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