ブログ仙岩

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朝鮮半島の自然をよみがえらせた浅川巧

2013-08-21 08:56:58 | 日記
1885年ソウルからシベリアまで徒歩走破のエム・ジェロトケヴィイチは朝鮮半島を「山は禿山、植生はなく樹木皆無」と朝鮮旅行記で述べている。1991年8/4~北京の数学研究会で、友誼賓館宿泊、研究会途中万里の長城観光で私が目にしたものはやはり樹木の少ない山であった。

それで、1910年日韓併合で、朝鮮半島の最優先課題は自然更生の治山治水であった。農林当局は1911年から毎年植樹を行い、31年間で6億622万400本の植林を達成している。

1913年朝鮮の小学校図工教師のクリスチャン兄浅川伯教を追って翌年、山梨県立農林学校卒業の浅川巧が朝鮮に渡り、朝鮮の樹木や育苗の研究を林業試験場で始めた。15年には、ゴヨウマツやカラマツの育苗に成功、禿山の植林にはミヤマハギが最適であることを発見した。また、巧の周囲に集まる朝鮮人を大切に扱い、少ない収入から奨学金を与えている。朝鮮白磁を研究し、木工芸品を日本に紹介している。朝鮮巨樹老樹名木誌」など著書も刊行している。
この業績を高校教師洪淳赫は1931年東亜日報に寄稿「これだけの材料と研究を私たちに提示してくれただけでもありがたく、恥ずかしいことである」と書いている。

植樹や農林研究、陶磁器などに貢献したが、1931年42才の若さで急性肺炎で亡くなった。戦後反日運動で巧の墓は壊されたが、1964年に修復された。親日の父を持つパク・クネ大統領はこの歴史を踏まえて外交してほしいと願う。