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ブログ仙岩

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台湾で視覚障害教育に命を燃やした木村日本人医師

2013-08-20 09:48:54 | 日記
中国人を天敵と思う台湾先住民に父を殺された井上伊之助は恨みでなく愛で住民の命を救ったと黄文雄著でふれた。

1894年の日清戦争に勝利し日本統治下に入った台湾で、95年総統が中国に逃げて無政府状態の台北で略奪残留兵士は日本軍の入城で逃げ出した。また、逃げた唐景総統のあとの元首劉永福も逃げ、救援嘆願から野木希典将軍は台南を略奪兵士から城民を守った。

この時期に、英国伝道師キャンベルの盲人教育を見学した盲人を父に持つ木村謹吾医師は台北に胃腸病院を開き医療の仕事の傍ら、2階に無料の盲唖教育所を私財投入して、日本に遅れる40年後の1917年に設立、10年後に台北州立台北盲唖学校に移管された。そして、1938年には長男の木村高明が盲唖学校校長の跡を継ぎ、木村三代にわたり、盲人教育に人生を捧げた。

1945年の戦後、木村謹吾親子は台北を離れたが、1967年に木村高明が台北を訪れた際、空港では50人超の卒業生から大歓迎された。その後台北市立啓明学校と改名しているが、校祖木村謹吾の意志の啓明学校は台湾各地の障害者教育を支援している。