いわき市四倉周辺初詣
今日11日は震災3年10か月、福島民報「あなたを忘れない50」に載った園児と共に津波に呑まれ亡くなった中曽順子(49)さんの記事である。新春の海、道の駅よつくら港から撮影塩屋の岬。
新地町埒木崎の旅館の娘として生まれた順子さんは当時49才の4人の子の母親で、幼稚園の先生をしながら旅館のお手伝いをし、読書好きで手料理の上手な振る舞いで子供たちを喜ばせていた。
3.11大地震発生から7分後茂さんの携帯に「地震大丈夫ですか」のメール届く。「大丈夫、どこにいる?津波避難せよ」と返信、すると「私は幼稚園で子供たちの対応しています」と最後の連絡が入った。順子さんは園児とバスで避難中津波に襲われ帰らぬ人となった。
一方、東京の建設会社勤務の中曽茂(61)さんは水道工事で旅館に逗留一目ぼれで結婚、山元町の建設会社に移り、宮崎や長崎の新婚旅行や、毎年贈る赤いバラが震災前には28本になっていたが、亡くなってからは白いバラを贈り昨年で4本になっている。
白いバラが毎年増えてくんだなーと茂さん、二男は母と同じ幼稚園の先生をめざし、それぞれ子供たちは母の分までしっかり生きようと決意し相馬中村神社初詣の笑顔の写真が涙を誘う。
新地町埒木崎の旅館の娘として生まれた順子さんは当時49才の4人の子の母親で、幼稚園の先生をしながら旅館のお手伝いをし、読書好きで手料理の上手な振る舞いで子供たちを喜ばせていた。
3.11大地震発生から7分後茂さんの携帯に「地震大丈夫ですか」のメール届く。「大丈夫、どこにいる?津波避難せよ」と返信、すると「私は幼稚園で子供たちの対応しています」と最後の連絡が入った。順子さんは園児とバスで避難中津波に襲われ帰らぬ人となった。
一方、東京の建設会社勤務の中曽茂(61)さんは水道工事で旅館に逗留一目ぼれで結婚、山元町の建設会社に移り、宮崎や長崎の新婚旅行や、毎年贈る赤いバラが震災前には28本になっていたが、亡くなってからは白いバラを贈り昨年で4本になっている。
白いバラが毎年増えてくんだなーと茂さん、二男は母と同じ幼稚園の先生をめざし、それぞれ子供たちは母の分までしっかり生きようと決意し相馬中村神社初詣の笑顔の写真が涙を誘う。