ブログ仙岩

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浪江請戸で漁船との別れ

2015-01-31 08:35:59 | エッセイ
一昨夜29日はまなかあいづで、前半に放映、漁船解体で最後の姿第一吉祥丸を見守った高野康幸(72)さんが放映された。写真は四倉港2011.4.15撮影。

全体で6割にもなる760隻が被災した、あれから3年10か月今月16日解体するので、避難先の山形から酒1升持って飛んできたという。

家の近くは湖のようになっていたから、もう何もかもなくなっていたと思っていたが、2011年4.10放映、同級生が撮影した写真の一番上になって映っていたのでうれしかったなーと。

30年も40年も命を預けてきた船だからという高野さんは、解体に立ち会って感無量といって船体に最後の別れの酒をかけご苦労様と泪していた。これからどうしますかの質問に、漁しても30年も売れねべ、最後だべなと、そして運転席の魚群探知機などに触れて「またやっちなー」と声かけていた。それから船に上がって、いつでも掲げる船名旗を手に高く掲げた。

私も、四倉港から北洋漁業に出航する00丸に別れのテーフ、写真に収めているが、小さい娘のしゅうと様宅に飾っていた第一吉祥丸の雄姿の写真を手にした高野さんも放映されていた。原発事故がこんなにも時を経て悲しい別れの現実が続いている。

ゲルニカではないが、地球温暖化に貢献するはずの原子力発電が事故で人間生活を狂わせてしまう。この絵はニューヨーク近代美術館に永年保管されていましたが、1981年にスペインの民主化で返還されました。ピカソは1936年7月のスペイン内乱が勃発、彼はいち早く反フランコの立場で翌、37年にフランコ側の要請でドイツ空軍によるバスク地方の古都ゲルニカの爆撃が決行されたことに憤りを感じたピカソは、その年の5月から6月にかけて喪に服するかのように白と黒で科学文明の以前と後の非人間的な見にくい光景を描いた大作です。