3/25(金) 昨日、母が手術をするとのことで、9:10のJALにて高知に帰る。飛行場へ向かう前、5時30分から弁当だけは作って行こうと準備に入った。私の悪い癖で、何かを始めるとしつこい、日課をこなさないと気が済まないのだ。
そんな訳で、弁当つくりに45分その後風呂に入り出掛ける準備で45分と云う時間配分である。次女も泊まりにきており今朝もオムスビが要る。弁当二つとオムスビである。出勤しないのでk君の分は省略となる。
さてメニューだが、冷凍イカとシメジ・人参のオリーブオイル&バターソテー、アスパラガスの豚肉巻き炒め焼である。それに定番の卵焼き。
オムスビは焼タラコと椎茸昆布の佃煮。アスパラ巻きの味付けは、塩胡椒と醤油味の二種とした。節食中のため、味見は箸で汁の味見をするに留めた。
急ぎで作っているつもりだが、そんなには手際よく行くはずもなし。時間がどんどん押して来た。それでも弁当箱に詰め、オムスビに海苔を巻くまで止められないのであった。
風呂と準備の時間が段々と減って行く。それでも日課の風呂に入り、準備をして駅に着くと乗車予定時間の1分前。まあ、悠々間に合ったと云うべきか?
予定通り高知に着き、11時半病院に入った。妹と従兄弟が病室で待機しており、母は9時ごろに手術室に入ったとのことで手術中であった。手術そのもは難しいものではないと聞いていおり心配はしていないが、高齢であり其処が心配なだけ。
母は昨年9月、丁度帰省しているときに廊下で転び、脊椎と腰骨の繋ぎ目辺りを圧迫骨折した。三ヶ月ほど入院し、年末に家に戻ったが、予後が良くなかった。結局骨が繋がらず、神経を圧迫しているということで手術となったのだ。
13時30分過ぎに病室に戻ってきた。レントゲンも撮ってきたとのことでドクターが術前・後の状況を解説してくれる。上手く行ったとのことでひと安心する。
しかし、輸血や点滴、痛み止めのチューブ・注射針、酸素マスクと老人には辛い処であろうが、麻酔から醒めきってないのでウメイているばかり・・・。目覚めて、喉がいがらっぽいと云うので、嗽の手助けをする。
今夜は手伝いすることも無いだろうと21時頃まで病室に付き添い、直ぐ傍のホテルにチェックインした。
今朝は、8時30分に病室に行くと酸素マスクも取れ、声が少し出るようになっていた。ただ背中の手術なので起き上がることはできない。少し横向きになるのはいいそうだが。背中が痛いと云うがさすることも出来ず、我慢しろと言うしかない・・・。
熱があるそうだが、徐々に収まるであろう。昼前に病院を後にして妹夫妻と食事、帰京の便に搭乗するため「高知竜馬空港」に向かった。私は節食のため生ビールと冷奴であるが、昼間からビールでは意味なしか・・・
my lunch? 妹達のlunch
何でも羽田空港が混雑とのことで到着便が遅れた。その煽りで帰京は40分以上の遅れとなった。(羽田が混雑とは、原発で東京などを脱出する人が増えたか?)
何処へ行っても原発と震災の話題。妹が水を送ってくれると云うが、この田舎にもペットボトルの水は品薄になっているようだ。