オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

魚と海そして道真公

2011-03-20 | Weblog

3/20(日) 金曜日、福岡へと赴いた。取引先の某社で、広告部長をされていたMさんが福岡支店に転勤されている。そのMさんから話があり、プラニングや足回りの利く制作会社を探しているとの話を受け手であった。

何の役に立てるのか分からんが、私と相棒のヒロさんで現地に赴いた次第である。空港から街へと向かう途中、菜の花畑が黄色の絨毯を敷き詰めたように綺麗だった。 

                       

Mさんが東京に勤務されて居る頃、大変お世話になった。それにまして、Mさんの真摯・実直、胸の熱さ、粘り、ビジネスマナー、そんな人柄が、私とヒロさんは大好きなのだ。

事務所に伺い話を聞く。福岡支店長とされて、実績をあげておられることが伝わってきた。我々との仕事の話は具体的な案件がでてから、これからのことである。積もる話を訊くのは夜の部である。結局、魚料理の店へと案内してもらった。

店は魚好きのMさんが一番のお気に入りとか、これまでで一番旨い魚を食べさしてくれる店と云う。博多山笠で有名な「櫛田神社」を横に見ながら、川端通の手間へに在る「みやび」と云う店に着いた。

                        

                        櫛田神社 裏門(?)

店はカウンターと、入り座敷だけの小体ながら、カウンターには何匹ものグレの泳ぐ水槽があった。この魚、店主のオヤジさんが釣ってきたものとか、釣が趣味の店主のようだ。丁度、川崎から孫娘が来ておりオヤジさんはニコニコ顔であった。

刺身善し・煮魚な善し、酒の相手善し、節酒、節食中を忘れて話と魚・酒に酔ってしまった。

                   

店は大繁盛のようで、御上さんとオヤジさんは大忙し。酒も進んだ頃、Mさんから聞かされたのが「オヤジさんは、釣に出た船が沈没して10人の中で、一人だけ助かった方だよ」と云う話である。その後、暫くは釣りを止めていたそうだ。

漸く客も帰り閑になった。オヤジさんが我々の傍に来てくれた。釣の話、魚の事などを聞き、遭難のことも訊いてみた。

                         

天候が悪い日だったそうな、船長以下10名が乗って出港したそうだが転覆、船の腹にしがみついたが、手は滑る、波が叩くで力尽きて海に呑まれていったそうな。巡視艇が来ても力が尽きており救命具に捉まれないで往生したと云う。

この海難事故に遭ったのは平成元年のことだとか。新聞のスクラップを見せてもらった。写真入りで大きく何紙もが扱っていた。ただ一人生還、その後がまた大変だった云う。謂われなき誹謗であろうか。生かされし者の辛さを誰が知ろう・・・。

いい話、旨い魚、そして得難い体験を聞いた。こうして博多の夜は更けたのである。

  道真公は後日に・・・

コメント
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