オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

煮物と炒め物そして焼き物

2011-03-08 | Weblog

3/8(火) 目覚めると、漸く雨も上がった様子。昨日はボタン雪もちらつき、また春が一歩後退したような天候だった。雨の中、見積もりの提出で神田まで徒歩で往復。帰社の途中、安売りスーパー「ハナマサ」で、五個198円の極安ラーメンを同行したAkagiとともに購った。

我が社のアルバイトK君用に、弁当を用意出来ない時の非常用?のつもりで購ったが・・・。

さて今朝は、弁当をちゃんと作った。メニューは「鶏肉と大根・牛蒡の和風煮」、「豚バラ肉とピーマン・マイタケのオリーブオイル炒め」それと「小松菜の胡麻炒め卵とじ」。以上で終わりかと思いきや、土曜日に築地で買った鮭の切り身を焼いたのである。

                      

一応ひと通のお菜が揃った。何しろ前夜の残り菜は皆無、飯そしてお菜と今朝の出来たてである。問題は、弁当にどれだけ入るかなのだ!なるべくドカベンは避ける。健康のために致し方なし。

                      

何時もご飯を弁当に詰め、それからお菜を入れる。お菜を入れるために最後は、ご飯をぎゅうぎゅうに寄せる破目となる。そして入りきらんとご飯の上に乗せることとなる。見た目がよくない、美しくないが、花より団子である。

                   

今朝も鮭の入る場所がなくなり押し込む。最後にここの処お気に入りの椎茸昆布がご飯の上に乗って完成となった。

 

  「 U老分 」

我が社の長老Uさんは中々面白い。発想が、今風に云えばポジティブな方である。何しろ戦中派、名古屋の産で、私が知らない世界をよく承知している。

Uさんが幼い頃、先の大戦の末期から戦後暫くのことだが、岐阜に疎開していたそうな。戦後、岐阜の長良川沿いのホテルは接収されて駐留軍が居たと云う。

川に泳ぎに行くと、米兵がコインを川面に投げる。子供達は競って飛び込み川底から拾って喜んだと云う。コインが落ちた位置、水の流れを読んで潜るのが拾えるか否かの分かれ目。その計算をしながら潜り、拾う。ゲーム感覚で面白かったと云う。

そこは、戦に負けた敗者の思いとか、貧乏だとかを超越した世界であったろう。

場面は変わるが、一緒にゴルフに興じたタイのゴルフ場では、コースに沿って或はコースを横切るように泥水のクリークがある。その傍らには必ず5・6歳~10歳ぐらいの子供が其処かしこでゴルファーを待っている。

ミスショットの球がクリークに水しぶきをあげると、何処からともなく子供が現れてクリークに飛び込み潜る。あの濁った水の中から、間違うことなくボールを拾い出してくるのだ。チップを渡してやるとニッコリと白い歯を見せて嬉しそうだった。

そんな光景を目の当たりにしながら、U老分は子供の頃の長良川の自分を見ていたに違いない。

チャリン・チャリンと呼ぶ居酒屋「ちょっぷく」で一杯300円の安酒のグラスを傾け、タイのゴルフの話に及ぶと、水に飛び込む少年の話、そして長良川の夏に戻る。

『惨めとか、可哀想とか、そんな思いは一つもなかったよ。どうしたら、何処を目指して潜れば捕れるかなんだ。あの米兵たちも遊びでコインを投げたんだよ。』。『タイの子供達も遊びながら小遣いを稼いでいるんだよ』そこに余計な感情を入れない方が良いんだ・・・。と、U老は酔った声で語る。

 

 

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