オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

U老の得難い話

2011-03-26 | Weblog

3/26(土) 昨夜は遅い時間に某TV番組制作会社の常務をしている永の友人、H氏に会うこととなっていた。会議が長引くとのことで、取敢えず待ち合わせ場所の銀座の店で落ち合うこととした。

相変わらず銀座は暗くて人出も少ない。天下の銀座がこの有様では、後はおして知るべしか・・・。

東電の本社が線路を隔てた日比谷側にある所為でもなかろうが、池袋や渋谷の方が活気があるし明るい、元気を感じる。

そんなことはさて置き、H氏待てど暮らせど現れない。学生時代、中野駅前の小さな喫茶店で彼を7時間待ち、店が閉まる直前に現れたという実績がある。


空いた腹にハイボールを7・8杯流し込んだ頃、携帯が鳴った。会議がエンドレスでまだまだ終わりそうにないとのことだった。

確か、震災の取材でクルーを十数組も現地に送り込み、4月からの新番組のスタートと忙しいことであろう。会議を抜け出して、電話を寄越すだけでも大した成長と言えるか・・・。

私の依頼事項は、今日明日を競ることではないので改めて会うこととなった。
それにしても、腹が減っているとハイボールの吸い込みも早く、効目も早かった。電車があるうちに家路に付いた次第。

今日は午後に出社、久し振りに会社のトイレ掃除をした。トイレ掃除というのは気持ちがいいものである。

しかし、飯を喰わない所為かどうも力が出ないようだ。とはいえ、何かを喰いたいと云う欲求は甚だ少ない。引き出しに入れてあった最後のチョコレート一枚を食す。チョコレートがあれば2・3週間は生き延びれそうだ。このチョコはドバイからのお土産で頂いたものだが、すこぶる美味い。こんなに美味いチョコレートは初めてである。

そして冷蔵庫に置いてある野菜ジュースを一杯飲んで、今日のランチとした。


今朝は、ネーブル蜜柑を数切れと太刀魚の味醂干しを一切れであった。完熟・極上の甘味たっぷりのネーブル、味醂干しも美味かった。思わずビールが飲みたくなったほどである。

昨夜帰宅すると、愛媛県久万高原町に在住する後輩のKatuta氏から宅配便が届いていた。それが、今朝頂戴したネーブルや味醂干し。この他にデコポンや干物、十穀米のパックまで入っていた。江戸の惨状を心配して何や科やと入れてくれたに違いない。ありがたいことである。

 「 U老のチョットいい話 」

我が社の最長老のUさんは名古屋育ち。終戦後、疎開先の岐阜から戻った頃は、名古屋に進駐軍の米兵が沢山いたそうな。

Uさんの父上は、軽食堂を営みカツレツやスパゲッテイなど供していたと言う。それを目当てで、米兵がよく食べに来たそうな。そして支払は品物。チョコや歯磨き粉、チューインガム等であったそうな。その米兵たちが皿のソースまで拭い食す綺麗な食べ方、残さない食べ方に子供ながら感心したと言う。

暫くして、その父上が丁稚小僧を何人か置いて靴の製造販売を始めた。田舎から出てきた少年達が同じ屋根の下で暮らし、寝食を共にする。そして食事も家族と一緒に摂る。
その時、雇人達には暖かなご飯を食べさせ、Uさん達家族は残りご飯の冷や飯が常であったそうな。

お父上が「この人たちは親元を離れて働いているんだよ、だから大事にしなくてはいけない」と教えたそうな。そんな幼少の頃の教えが、U老の遺伝子や細胞として沢山残っている。

そんな話の彼是を聞きながら、チャリン・チャリンと呼ぶ安酒場「ちょっぷく」で、焼酎やハイボールを飲っているひと時が、私は好きである。至福、やすらぎの時間となる。

 

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