ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

百薬の長の酒 って老化促進薬?

2018-06-01 06:03:27 | 病状
 飲酒していた頃の私は、生活習慣病といわれる高血圧、糖尿病、脂質異常症、これら3つの病気すべてを抱えていました。それが酒を断ってからというもの、糖尿病以外は全部正常範囲内に戻っています。しかも、残った糖尿病も随分軽くなっています。

 かつては成人病と呼ばれていた生活習慣病ですが、その名称変更の経緯からして老化と年季の入った生活習慣に原因があるとする意図が読めます。長らくこれら生活習慣病を患った者として、またアルコールの常習者だったことからも、その発症と進展には間違いなくアルコールが大きく絡んでいたと私は確信しています。

 つまり、年季の入った生活習慣の中で最もクサイのが飲酒習慣(つまりアルコール)ではないかと睨んでいるわけです。恐らくこのことは、これらの病気の大多数の患者にも当てはまるのでは(?)と思えてなりません。

 また、典型的な老化現象と言えば、もの覚えが悪いとか、もの忘れがひどいとかの記憶障害を思い浮かべると思います。ところがアルコール依存症者では、この記憶障害が若年者であってもよくみられるのです。とすれば、アルコールは老化を早めるのでは(?)と思わざるを得ません。

 こうしたことから、乏しいながら私が持っているアルコール毒性についての知識を一度整理して、アルコール老化促進説(?)とでもいうべきものを敢えて提起してみようと思いました。以前にも取り上げたことのあるテーマであり、性懲りもない動機のもとで少々粗っぽい論旨展開になっていますが、どうぞご容赦ください。

 さて、アルコールの毒性については以下のことが知られています。

 アルコールは、ストレスホルモンのコルチゾールの分泌を亢進させ、そのコルチゾールが交感神経を緊張させて血圧を上昇させます。つまり、アルコールは高血圧の原因物質の一つです。

 アルコールは肝臓で解毒されます。アルコールを常習していると肝臓はその解毒に忙しくて糖代謝に手が回らず、それがエネルギー代謝全体に悪影響を及ぼします。つまり、アルコールは高血糖や脂質異常をもたらします。

 アルコールは、コルチゾールを介して記憶を司る海馬の神経細胞を減らします。そして、その大量使用が前頭葉の感情制御機能の低下をもたらすこと、さらに大量常習が前頭葉の萎縮を来たして知的レベルの低下をもたらすことも知られています。つまり、アルコールは記憶障害などの大脳機能の低下をもたらします。

 アルコールは小脳にも悪影響を及ぼして協調運動に齟齬をきたします。これは酔っ払いのヨタヨタ歩きが代表的ですが、アルコールの解毒に要したビタミンB1が不足したためのようです。その最悪のケースがウェルニッケ・コルサコフ症候群・脳症です。

 生活習慣病、記憶障害、前頭葉の萎縮、協調運動機能の低下、これらは主要な老化現象です。そして上述したように、これらの老化現象はアルコールによってもたらされる変化と符合する現象なのです。ここまで状況証拠が揃っていては、アルコールこそが老化を早める老化促進薬と考えざるを得ません。

 以上は素人の推論です。素人の推論ではありますが、まず間違いないと思っています。今度、専門クリニックを受診するとき、是非とも主治医に意見を聞いてみるつもりでいます。どうぞ、その結果をお楽しみに!



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生活リズムの立て直しには、やはり行動が一番?

2018-05-18 06:31:13 | 病状
 女性ブロガーは自分の心情を素直に表現できている方が多く、いつも自在さに感心しています。今回、ご紹介する方もそんな女性ブロガーの一人です。

 彼女も私と同病で、23歳の若さでアルコール依存症(アル症)と診断された方です。少女時代、両親、特に母親から冷たい仕打ちをされたと思い込み、アダルト・チルドレン(AC)の生きづらさを引き摺ってアル症となったという経歴の持ち主です。だからでしょうか、自傷行為が絶えず、アルコールなしでは生きていられなかったと述懐しています。

 そんな彼女が間もなく断酒満5年を迎えます。彼女の記事を辿ってみると回復プロセスの一つの典型例が見えてきます。“断酒に3年” という言葉の重みと、アル症からの回復がいかに健全な行動意欲の回復と表裏一体かを、今更ながら再確認させられました。今回は、彼女の回復のプロセスを記事から追ってみます。

         *   *   *   *   *
 断酒して最初の1年はほぼ引き籠もりのニート状態だったと彼女は述べています。その後の経過は、概略、以下のようです(重要と思われる事項を太字か下線で示しました)。

 断酒1年3~9ヵ月 生活習慣を整えるためアル症(専門病院併設?)の
         リハビリ施設通い
        (通所仲間の嫌がらせが耐えられずに6ヵ月で中止)
 断酒1年9ヵ月~ 自分で早起きできるようになる
        (「調子が戻ってきた」)
 断酒1年11ヵ月~ 禁煙と妊活を始める
 (断酒丸2年頃 一時期、飲酒欲求が酷かった模様)
 断酒2年2ヵ月~ 眠剤中止 パート勤務(一日3時間週5日)を始める
        (「体が物凄い楽だ」)
 断酒2年6ヵ月~ 毎日の自助会通い 本格的 “棚卸し” も始める
 断酒2年8ヵ月  妊娠発覚
 断酒3年    「今は一言で言うと幸せです
 断酒3年4ヵ月? 長男誕生
 断酒3年9ヵ月  ACとしての生きづらさ(少女時代に受けた恨み辛み)
         を両親に告白


 断酒2年後ぐらいまでは遅発性の離脱症状(PAWS)がきつい時期なので、精神状態が不安定な患者同士がリハビリ施設でうまくいかなかったのはまぁ仕方のないことです。それでも彼女は、意識的に早起きや禁煙に取り組み、生活習慣を立て直して社会復帰を目指していたようです。

 そして、断酒2年2ヵ月後から眠剤の中止とパート勤務を始めています。週5日の軽いパート勤務で意識的に規則正しい生活リズムに戻そうとしたのでしょう。丁度この時期は、PAWSが峠を超える時期に当たり、まことに時宜を得た決断だったと思います。

 私が特に注目したのは、パート勤務に慣れた頃の断酒2年6ヵ月後の記事でした。表題を『行動に移す』とした記事にはこんな言葉がありました。

「本当に当たり前の毎日が幸せです♪ 前みたいに完璧主義な自分もなくなってきて、0か100っていう極端な考え方もなくなってきました。この3,4ヶ月で本当に楽になってきました。」

 眠剤なしでもうまく睡眠がとれ、社会参加も軌道に乗ったからこそ出た言葉だと思います。この頃から体感の復調を実感し始めたのでしょうか。毎日の自助会通いと本格的 “棚卸し” も始めたそうです。過去の自分と対話し心の蟠りを暴くことを自助会AAでは “棚卸し” と呼んでいます。心にゆとりが生まれなければ決して出来ることではありません。

 その “棚卸し” の成果が断酒3年9ヵ月の記事にある両親への告白だったと思います。「(心の)重荷がとれた」という言葉が、長年の囚われから解放された彼女の気持ちを端的に語っています。AAの “回復のプログラム” をこのように実践し、彼女はこのとき、“新しい自由、新しい幸福” を手にしたのだと思います。

 もうすぐ断酒5年を迎え、直近の記事で彼女はこんな言葉を綴っています。

「育児大変ですが、楽しいです。幸せです。生きてきて今が1番に幸せです。間違いなく。・・・(中略)・・・あ〜もう飲みたくないな。また一からなんて無理だよ。」

 彼女は今、飲まない生活が板に付いたと見て間違いありません。同じ思いでいる私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかります。

 ここまで触れていませんが、もう一人賞賛されるべきは彼女の連れ合い(夫)です。彼の理解と協力なしでは、ここまで彼女が回復できたかわかりません。まさしく夫婦愛の為せる技だと思います。妬けますね。
 

今回の取材記事はこちらこちらです。


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回復させるには見放すしかない

2018-05-08 06:30:40 | 病状
 今、巷で話題になっているTOKIOのメンバー 山口達也氏のことです。報道からすれば、彼は明らかにアルコール依存症です。4年半しか断酒歴のない私ですが、同病のよしみで敢えてエラソウなことを言わせていただきます。

 私自身の体験とこの4年半の間に見聞きしてきたことから言えば、ここは周りの身近な人々が彼を冷たく見放すしかないと思います。そして、アルコール依存症専門病院で断酒を励行させて徹底した教育を受けさせることと、アルコール依存症者の自助グループに参加するよう仕向けることです。

 なかなか断酒できなかった人の多くが、本気で断酒に取り組む転機となったのは、身近な人から見放されたことだったと明言しています。私自身もそうでした。周りが下手に温情を掛ければ掛けるだけ却って仇となり、さらに周りを巻き込んで一層事態を悪化させることになりがちです。身近な人を共依存に誘うなど、アルコール依存症の真の怖さはここにあります。

 “断酒に3年 回復に7年” という言葉があります。人にもよりますが、断酒して1、2年は精神的に非常に不安定な時期です。断酒が軌道に乗るまで平均3年ほど必要ですし、飲まないでいるのが当たり前となるにはもっと年数が掛かるでしょう。

 この間、周りの人々は一定の距離を置いて黙って彼を見守るしかありません。薄情と映るかもしれませんが、こんな冷たいやり方でしか彼を救う道はないと思います。この点、契約解除とした所属事務所の決定は当を得たものと言えるでしょう。

 その一方で、患者本人には次のことをお勧めします。患者本人が断酒中に心懸けるべきはただ二つ、飲酒の代わりに何かにハマること、そして、たとえ何かにハマったとしても決して後にツケを残さないこと、これだけです。

 習慣化していた飲酒を止めた途端、無闇やたらに無聊に耐えられなくなります。これが “空白の時間” と言われる心理的なストレスです。断酒継続の鍵はこの “空白の時間” をうまく逸らす / 手懐けることにあります。

 つまり、時間との折り合いをうまく付けることですが、飲酒の代わりにハマった何かが後にツケを残すようでは元も子もありません。時間との折り合いさえうまくできれば、人生の立て直しも見えてくると思います。念のため。


『アルコール依存症の進行プロセス』については、こちらをご参照ください。


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再び飲酒欲求について(下)

2018-05-04 06:31:37 | 病状
 本格的なゴミ拾いは断酒して1年6ヵ月目に始めました。

 それまでの “空白の時間” 対策は、定期的に週2回ある自助会AAのミーティングと、ほぼ毎日室内で出来るブログ用原稿作成の二つしかありませんでした。これら二つにいつでも屋外で出来るゴミ拾いが加わって3本柱となり、日々の行動計画が格段に組みやすくなりました。その結果、一週間単位で日々を無難に過ごせるようになり、通院回数も順次減らせるようになりました。

 そんなありがたいゴミ拾いなのですが、一人で作業をやっていると別に “空白の時間” でもないのに以下のような可笑しなこともありました。

酒を捨てるなんてもったいない!」(断酒歴3年6ヵ月頃)
 飲み残しのある酒類のゴミは、見つけ次第中身を捨てています。ドボドボと地面に捨てるときの悪臭は実に不快なもので、それがアルコールと距離を置くのに一役買っています。ところが未開栓の酒類の場合は話が違ってきます。困ったことに、今だに「もったいない」という未練がつい出てしまうのです。

 スーパーの前で未開栓のビール缶を見つけたとき、なんと妻に飲ましてあげようと家に持ち帰ってしまいました。自分の飲酒への未練をうまく妻へとすり替えていたのです。後で気がついて反省しきりでした。もちろん、このときも飲んではいません。

 そんな反省をしていながら半年後のこと、未開栓の焼酎のワンカップを見つけて全く同じ発想をしてしまいました。このときはさすがに思い直してその場で中身を捨てたのですが、・・・まだまだこれは続きそうです。

もう飲んでも大丈夫では?」(断酒歴4年過ぎから)
 最近、ゴミ拾いの最中に「もう飲んでも大丈夫では?」という妄想が、ときに頭を掠めることがあります。それに気づく度にギョッとしてしまいます。

 普段は「こんな物(所に)まで捨てやがって!」と腹を立てることはありますが、それ以外はほとんど雑念などありません。酒類のゴミを見つけたわけでもないのに、なぜこんな妄想が湧いてくるのか不思議でした。

 上述したように以前は、未開栓の酒類を見つけては未練がましい思いをしたものでした。このところぼんやりと湧く妄想は、どうもそれとは違うようなのです。まさか、飲まない生活が定着したことで治癒した(??)ものと錯覚しての慢心でしょうか? どうもそうとしか考えられません。

 よく聞くことですが、“飲酒欲求は慢心で妄想に化ける”。これが私の下した結論です。私もやっと、アルコールは根深くて、したたかで、手強いものと実感できて来ました。どうやらこれがAAの言うところの “大きな妄想” なのでしょう。 “巧妙で、不可解で、強力なもの” は、まさしくアルコールの正体を言い得て妙です。



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雨の日の気まぐれ

2018-05-01 06:30:42 | 病状
 雨の日はどうしても外出するのが億劫になるものです。私の場合は単純です。足元が雨で濡れて靴の中がぐしょぐしょになるのが嫌いで、どうしても歩き回るのが面倒になるから・・・なのです。何かと行動を制限されるのは皆さん共通ではないでしょうか。そんなことを言い訳にか、雨の日にはつい気まぐれを起こしがちな私です。

 先週、三宮で自助会AAのミーティングがあった日のこと。その日は珍しく朝から雨模様でした。いつものように市役所のロビーで新聞を読み終えてふと外を見ると、いつの間にか雨が降り始めていました。まだ10時半過ぎでしたので、さぁどう時間をつぶそうかと迷うことになりました。

 ミーティング会場には12時半過ぎに着けばいいので、いつもなら電車で元町まで行って元町商店街でお茶菓子を買い、駅前の松屋で昼飯を、それからぶらぶら歩いて向かえば悠々セーフという頃合いです。普段通りにするか、それとも・・・と考えながら電車に乗りました。

 三宮から元町までは普通に歩いて15分、アーケードか高架下を通れば雨に濡れずに済みます。降り始めた雨とタバコの予備が切れかかっていたこともあって、先ず地下街を通って行ける三宮のダ○エーに急遽寄ることに決めました。タバコを2個以上買えば、レジ袋が不要な人には代わりにサービスポイントが2点つくからです。こんなところにも年金生活者は世知辛いのです。

 地下1階から店内に入って直ぐがお総菜コーナーになっていて、サンドウィッチ類に混じってピザがあることに目が止まりました。久しく食べていなかった大好物のピザです。思わず小分けされた2切れを手に取ってそのままレジへ、レジを済ましてからやっとコーラの買い忘れに気づくという有様でした。早く食べたいばかりに気が急いていたのです。

 早速、イートイン・コーナーでピザを食べたのですが、味も量も物足りません。上の階に移ってタバコを買おうとした際、サービスカウンター脇の売り場にあったイチゴ・パイとドーナツが目に入り、それも買って再びイートイン・コーナーに戻って食べました。これじゃあ明らかにカロリー・オーバーなのですが、それでもまだ物足りない気分でした。

 時刻はやっと11時半を過ぎたばかりでした。ミーティング会場に行くには早過ぎます。昼飯は済んだことになったので今更元町へ行くまでもありません。時間つぶしにと地下道を通って隣のビルにある映画館の喫煙所に向かいました。そしてその後は、映画の予告編を見たり地下街をブラブラしたり、・・・。

 こんなふうにチマチマと時間つぶしをやったのですが、結局、ミーティング会場には12時半前に着いてしまいました。どうにか平静を装っていたのですが、どこかモヤモヤした気分のままでした。そんな気分がテーブルの上のお茶菓子に向かってしまい、しきりに手の出ること出ること。完全に調子を狂わせられていた私でした。

 ミーティングでは、SLIP(再飲酒)してしまって再び断酒をし始めたところ、今度は過食ぎみになってしまったと話していた女性メンバーがいました。そう言えば、断酒してしばらくは殊の外甘味が欲しくなるものです。彼女は恐らく、モヤモヤした気分を紛らわすのに甘い物を口にするしかなかったのでしょう。

 お茶菓子をしきりに口に運んでいた私は、そんな彼女の気持ちが痛いほどよくわかりました。必ずしも雨のせいだけではないのですが、ちょっとした気まぐれでかくも簡単に歯車が狂うもの、そう思い知らされた日になりました。



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再び飲酒欲求について(上)

2018-04-27 06:53:14 | 病状
 断酒歴が丸4年半となりました。この間、あからさまな飲酒欲求は2回しか経験していません。が、飲酒欲求は様々な姿・形に変装して現われるものだということも思い知らされました。断酒中の方々へのご参考に、折々に経験した飲酒欲求を断酒中に呟いた言葉から振り返ってみます。

断酒?! 節酒じゃいけないの?
(断酒開始時)
 専門クリニックを初めて受診したときのことです。主治医にアルコール依存症と宣告されていきなり断酒を命じられたとき、一瞬、私の頭を過ぎった本音でした。それまで一日も欠かさず常習してきた飲酒ですから、それを全否定されたことに “飲酒への未練” が強く出たのだと思います。

孫たちが帰った後が危ない!
(断酒歴5ヵ月頃)
 春休みの頃だったと思います。久々に孫たちが遊びに来るというので、たまには遠出してみようかと考えました。少し心配になったのは、不慣れな所でたとえ目一杯楽しめたとしても、孫たちが帰った後で却って落ち込みが酷くなるのではということでした。主治医に相談してみると、“不慣れなこと(緊張)の反動という飲酒欲求” があるので、遠出はまだ避けるようにと言われました。それで結局、近場でお茶を濁すことになりました。

酒でも飲まなきゃ堪ったもんじゃない!
(断酒歴6、7ヵ月頃)
 これも春から初夏にかけての頃だったと思います。外出から家に戻って一人になるなり、不意に胸がザワザワ・グルグルし始めました。初めて経験した不吉で不穏な感覚だったので、これは酒で紛らわすしかないとモロ本気で思ってしまいました。どうにか飲まずに済ましたのですが、“マイナス感情を紛らわすための飲酒欲求” だったように思います。一度経験した後は、再び襲われても何とか無難にやり過ごせるようになりました。

飲んだらどうしよう? / 何としても断酒しなきゃ!
(断酒歴10ヵ月まで)
 私は断酒して10ヵ月目に “憑きモノが落ちた” とも言うべき体験をしました。この体験までの間ずっと、一人で家にいると決まってこの言葉が私に纏わり付いて離れませんでした。専門クリニックの教育プログラムが奏功し、アルコールの怖さが刷り込まれていたからでしょうか。狭い(?)/ 広い(?)意味で典型的な “アルコールに囚われた” 心理状態だったと考えています。この強迫観念も “憑きモノが落ちた” 体験の後はぱったりと消えてしまいました。

すき焼き・しゃぶしゃぶとビール、・・・旨そう?!
(断酒歴1年4ヵ月頃)
 まだ寒さの厳しい2月のある日、専門クリニック近くの神戸港界隈を一人で小一時間散歩したときのことです。散歩からの帰り道、すき焼き・しゃぶしゃぶ屋の前で思わず上の言葉を呟いてしまいました。散歩でくたびれていた上に昼飯前ということもあって、喉の渇きと空腹感から飲酒欲求があからさまに湧き出たものと考えています。これはまさしく、AAの言うHALT(怒り、空腹、孤独、疲れ)に当たります。こんな露骨な飲酒欲求はこの時だけで、以来一度もありません。
 
 と、ここまで書いて気づいたのですが、以上のエピソードはすべてゴミ拾いを本格的に始める前にあったことです。家に一人でいたとき、もし “空白の時間” に襲われたとしても、ブログの原稿作成以外にうまく逸らす方法が他に見つかっていなかった時期でもありました。

 上に述べたケースは、いずれも飲酒欲求があからさまに湧いても何ら不思議ではありません。今ではそう思っています。因みに、本格的なゴミ拾いを始めてからこの4月で丸3年経ちました。
(この項つづく)



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“憑きモノが落ちた” が意味するもの

2018-03-30 06:42:47 | 病状
 断酒について言えば、楽に継続できるようになった転機は、間違いなく “憑きモノが落ちた” 体験でした。これを契機に飲まないで生きていけるようになったという意味です。断酒を始めて10ヵ月経った頃の出来事でした。

 “憑きモノが落ちた” というのは、経験したことのない人にはなかなかピンとこない言葉でしょうが、今回はこの言葉の意味合いについて述べてみます。

 通院しているアルコール専門クリニックでは曜日によって担当医が変り、ときに新任の医師に当たることもあります。断酒を始めて丸2年過ぎた頃だったでしょうか、30代後半の新任の担当医に当たり、この体験のことを話したことがありました。自分の口からも病歴を話しておいた方がいいだろうと考えてのことでした。
 
「それは、ストンと腑に落ちたという感じですかねぇ?」と聞いてきた担当医に、
「まぁ、そんなところですかねぇ?!」当たらずも遠からずだったので、私はつい頷いてしまいました。この時のやり取りに、ずっと何か引っかかっていました。

「正気に戻ったこと、それまでが異常だったこと、この二つを同時に気づかされた感覚です。」
今ならこう言ったと思います。当時は、こんなわかりやすい言葉が出て来ませんでした。モノの怪に取り憑かれた類いの話は、精神科医なら慣れっこのハズという思い込みがあったようですし、やはりPAWSのせいで脳の反応が鈍かったのかもしれません。

 “憑きモノが落ちた” 体験当時、どんな変化があったのかを改めて整理してみます。直前まではっきり自覚していたことと言えば以下の3つでした。


 ● 身体が回復したと実感できていたこと
 ● 飲みたくて堪らないといった病的飲酒欲求はなかったこと
 ● 性的妄想に駆られてAV動画を見ずにはおれなかったこと


 当時、病的飲酒欲求がなかったのは確かですが、「何としても断酒し続けなければならない」という強迫観念は強くありました。やはり、依然としてアルコールに囚われた状態だったのでしょう。性的妄想は、クロス・アディクションの片割れが前面に出て来たのだと思います。

 体験後に実感したことを整理して挙げると、主に次の3つでしょうか。


 ○ 性的妄想の消失
 ○ 薄物が脳を被っていた感覚の消失
 ○ アルコール依存症(アル症)から完全に回復したという錯覚


 体験後、性的妄想が消えてAV動画への欲求が全くなくなりました。ほぼ同時だったと思うのですが、頭がスッキリした感じになって、逆にそれまで脳を被っていた薄物感にも気づけました。そんなことから、アルコールが抜け切ったのだと実感できたのです。

 アル症から完全に回復したという錯覚は、少し遅れて出て来たように思います。明らかにこれは、ドライドランク(PAWS)特有の症状だったと今では考えています。

 これら変化の極めつきは、ブログへの自分史の投稿とゴミ拾いを始めたことでした。この二つがここまで飲まないで来れた一番の功労者(?)だったと思っています。

 自分史の執筆は、アル症に至った兆候がどんなところにあったのか、この機会に自分の過去を洗い出してみようと思い立ったのが始まりでした。医者から教わった “言語化” が背中を後押してくれたからでもありましたが、上記の感覚の変化ナシでは考えられません。

 ゴミ拾いの方は、ゴミが極自然に目障りになったのが切っ掛けですが、これも目に映る感覚が正常に戻ったためと考えています。

 以上のことでハッキリしているのは、これらがいずれも感覚の劇的変化だということです。しかもそれらは、一瞬のうちにすべてが起こったと言うよりも、水が沁み入るように徐々に変化していって、遂には体の感覚すべて(体感)に転換が起こったと言う方がより近いように思えます。

 結局、“憑きモノが落ちた” というのは、体感に転換が起こったことだと私は考えています。悟りとか神の啓示とか言われているものも、その実態はこのような体感の劇的転換のことなのかもしれません。


“憑きモノが落ちた” 体験の詳細については、次の記事をご参照ください。いずれも断酒して2年目に書いたものです。
回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.05投稿)
“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(下)」(2015.10.16投稿)



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続 アル中の哀しきクセ

2018-01-30 06:54:08 | 病状
 再々、市役所詣で兼ゴミ拾いで毎日通うバス通りでの話です。
バス通りに面した公園の入り口には、大きな常緑樹が一本立っています。秋にはドングリが一杯なる木なので多分シイかカシの一種だと思います。いつもなら、公園のゴミ拾いはこの木の周りから始めることにしています。

 公園に向かって歩いていると、車椅子の男性が一人、その木の下で公園の方を眺めているのが見えました。その姿・恰好は、遠目でもどこか見覚えがありました。近づくにつれ、どうやらワンカップの空きビン隠しを常習にしていたアル中の人だとわかりました。去年の5月頃、いつもワンカップの空きビン二つを、バス通りの反対側のベンチ下に隠していた人です。それ以来とんと姿を見せなくなっていました。

 以前は杖をついていたのに今度は車椅子に変わり、穏やかそうだった顔も別人のように険しい顔つきになっていました。しかもこの寒空の下、手にしていたのは缶ビールか缶酎ハイのようなのです。人を近づけさせない雰囲気があったので、木の周りのゴミ拾いは後回しすることにしました。

 この公園入り口付近も空き缶の放置が多いところです。車道と歩道との間に、ここだけ高さが膝丈ぐらいの巨大なプランター様花壇が設けられていて、そこに丈の低い笹がビッシリ植えられています。普段は表面をざっと見やるだけなのですが、偶々その茂みの中に空き缶がチラッと見えました。

 そこでよく調べてみると出るわでるわで、缶酎ハイの空き缶が10本ほど茂みの中に隠されていたのです。明らかにアル中の人間特有の遣り口でした。ひょっとしたら車椅子の彼は、私が空き缶を回収していたのを一部始終見ていたのかもしれません。

 私が一通り公園内のゴミ拾いを終えても、車椅子の彼は缶ビールを片手にまだ居残っていました。どうせダメ元という気持ちで声を掛けてみました。
「私もアル中なんですが、専門病院にかかっていますか?」
「もう何回も・・・」と、ボソッと応えてくれました。
「それじゃ、AAなどの自助会も勧められたのでは・・・?」
「もう、・・・ほっといてくれますか!」と、今度はトゲのある口調でキッパリ返してきました。私に対してと言うよりも、もうどうにもならない自分自身に苛立っているかのようでした。

 恐らく彼は、幾度となく入退院を繰り返していて、今回も退院したてでの再飲酒だったのでしょう。当然ながら、後ろめたさにも苛まれていたのだと思います。そんなことをつらつら考えていたので、こう返して来るのは織り込み済みでした。

 私の経験からすれば、飲酒を止めようと考えさせる一番の方法は、身近にいる身内がキッパリ見放してしまうことだと確信しています。身内からの諫め話というものは、とかく甘えを誘いがちなので、却って事態(こと)をややこしくさせるだけでうまくいきません。が、それが同病の赤の他人からとなれば話が違ってくるはずなのです。そう思っての声かけでしたが、なかなか思惑通りにはいかないものです。

 今度似たような機会があったら、どう話しかけたら良いのでしょう。少なくとも言えることは、自分もアル中だと最初に名乗り出ることだけは決して間違いではない・・・はずですが。

 ところで私は、車椅子の彼を空き缶隠しの犯人と見ていたわけではありません。恐らく犯人は勤め帰りの人で、常習的に近くのコンビニで買った缶酎ハイをここで飲んでは即処分していたものと睨んでいます。念のため。


アル中の哀しきクセ』(2017.5.30投稿)もご参照ください。

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家康の遺訓に寄せて

2018-01-19 06:56:12 | 病状
 このところ “楽になる / 楽になった” を記事にしてきましたが、今回はこの気分を象徴しているような徳川家康の遺訓にからめた話をします。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し・・・」ご存じ有名な家康の言葉です。還暦を迎えた年の丁度今頃に書いた遺訓だと言われています。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利して3年経ち、江戸幕府開幕直前の時期に述懐したもののようです。

 天下を統一して平和な世に目処をつけ、ちゃんとした世継ぎにも恵まれた家康ですが、決して順風満帆な半生ではなかったといいます。それだけにいかにも人生の重荷を下ろしたことで “楽になって” (ホッとした心境で)、それまでに味わった苦い経験から得た教訓を述べたものでしょう。

 有名な川柳「鳴かぬなら・・・ホトトギス」は後世の人が詠んだものだそうですが、「殺してしまえ」の信長、「鳴かしてみよう」の秀吉、「鳴くまで待とう」の家康を並べてみると三人三様の人となりが的確に表現されています。上の遺訓と並べてみると、決して無理をしないという家康の人生観が言い尽くされていると思います。もうじき67歳を迎える私ですが、遅ればせながら私にもこの言葉の味が判るようになりました。

 私の40~50代は、文字通り試練の連続でした。事あるごとに問答無用の二者択一を迫られていた40代、生きる支えとしていたものが目の前で一つひとつ削がれていった50代。主に仕事上でのことながら、思い通りにならない人生に苛立っていました。定年を目前にし、目に見える形のものを未だに残せていない危機感に焦っていたのだと思います。

 そして迎えた定年退職。今思えば義務感に囚われて(?)の仕事でしたが、それがなくなっただけのことなのに、これで人生も終わったとまで思い込んでしまいました。心にポッカリ空洞が開いたようで、もうどうにでもなれと目が覚めたら直ぐ発泡酒に手が・・・、それが朝のお茶代わりとなって連続飲酒の毎日が始まりました。そして案の定、その1年半後には死の瀬戸際まで追い込まれたのです。

 「生き残らねば・・・」という命題は、誰もが共通して背負っている人生の重い宿命です。これは家康だろうが誰であろうが皆平等です。思い返せば、当時の私はそのことに薄々気づいていながら、その重荷にただ悲鳴を上げていたのでしょう。ひょっとしたら、むしろその重荷に依存していたのかもしれません。だから定年退職という事実が受け容れ難かったのだと思います。

 このことに気づき始めたのは酒を断って丸2年が過ぎた頃からでした。こんな私でも自立できるまで息子2人を育て上げていますし、ささやかながら自分の持ち家もあります。そして仕事の上でも、曲がりなりにも商品化までこぎ着けた物もあるのです。そう気づいてやっと、完全退職した事実を受け容れることができました。アルコールの底なし沼から抜け出せて、やっと目覚めた後の “気づき” でした。

 天下統一という家康の偉業にはほど遠いのですが、私も最低限ながら、課された命題を自分なりに懸命にこなしてきました。こんな穏やかな気持ちで過去を振り返ることもできています。そう思うにつけ、結構そこそこの半生を過ごしてきたのではと少し誇らしくもあるのです。こんな大それたことを言ったら、さすがにバチが当たるでしょうか。

 とても味のある内容なので、家康の遺訓の全文を載せておきます。

         *   *   *   *   *
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
 急ぐべからず
 不自由を常と思えば不足なし
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
 堪忍は無事長久の基
 いかりは敵と思え
 勝つ事ばかり知りて
 負くること知らざれば害その身にいたる
 おのれを責めて人をせむるな
 及ばざるは過ぎたるよりまされり

                  慶長八年(1603年)正月十五日



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“楽になる / 楽になった” 新年はこの感覚を第一に!(下)

2018-01-12 05:52:28 | 病状
「今は楽になれました」AAのミーティングで仲間からこの言葉を聞く度に、初めの頃はとても新鮮(奇異?)に思えたものでした。この言葉を知らなかったわけではなく、実感としての意味がわからなかったという方が正確でしょう。この言葉は、実はアルコール依存症(アル症)者にとって特別な意味合いを持っています。

 アル症者に共通するのは、人付き合いがうまくいかず、そのため閉塞感に長い間苛まされてきたという悩みです。感情を表に出すにしても、この閉塞感が邪魔をして自然な感情表現にはならないということもあります。その背景には、偏ったものの見方・考え方(“認知のゆがみ”)に雁字搦めになっていたことがあります。

 “楽になる / 楽になった” という感覚は、自分が囚われていた “認知のゆがみ” に気づき、その囚われから自由になり始めた兆しのようなのです。その感覚の芽生えが心の回復の一里塚なのかもしれません。

 現在の私にとって心底 “楽になった” と思えたのは、断酒10ヵ月目にあった “憑きモノ” が落ちた体験でしょうか。ところがそのとき浮かんだ言葉は、長年続いた妄想がやっと消え失せたとか、アルコールがやっと脳から抜け切ったとかという事実関係を表わす言葉だけで、不思議なことに “楽になった” という感覚の言葉ではありませんでした。このいびつさ・奇妙さを教えてくれたのが、実はAAのミーティングで聞いた「今は楽になれました」だったのです。

 どんなに “辛い / しんどい” 体験をしても、その過酷さは消えたらそれまでですが、その感覚はいつまでも記憶に残るものです。“楽になる / 楽になった” も同じで、その感覚はいつまでも鮮やかに記憶に残り続けます。ただ一つ後者が違うのはそこに至ったプロセスも一緒に記憶に残ってくれることです。これらは経験の中にしっかり組み込まれ、その後の大事な行動指針となってくれるようなのです。

 身の回りの異変や身体の変調を最初に知らせてくれるのは感覚です。“辛い / しんどい” も、“楽になる / 楽になった” も、どちらも肉体的 / 精神的を問わず感覚を表現できる重宝な言葉です。言わば五感を総合した心の感覚を表現した言葉で、第六感と言われる予感もこの心の感覚なのかもしれません。

 なので、今年もこれらの感覚を道標にし、素直にそれに従って暮らせて行ければそれでヨシ。唯々こう願っている私です。
(この項おしまい)



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