ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その5)成功は悪魔の囁き?

2014-11-02 05:56:07 | 自分史
 39歳の時、担当した新剤型薬LAの発売にどうにか漕ぎ着けることができ、ノルマを達成できました。この1年ほど前から実質的に仕事の山を越えることが出来、一時期気持ちにほんの少し余裕が生まれた時もありました。

 チェーンスモーカーだった社長が禁煙したので、2年前の37歳の正月から私も禁煙に取り組んでどうにか成功していました。ほぼ同時期に新カルシウム拮抗薬PのPMも兼務することになりました。

 新カルシウム拮抗薬PのPM兼務になって間もなく、新剤型薬LAの承認審査の一環として当局の生データ調査も差し迫り、再び猛烈に忙しくなり出しました。イライラに耐えられず、タバコをつい復活させてしまいました。最初は貰いタバコ、次はトイレ内で隠れタバコ、後は開き直りです。せっかく禁煙を始めたのに丸2年も続きませんでした。再び吸い始めたところ以前より本数が増えてしまいましたが、幸い体重増加は止まりました。

 新剤型薬LAの承認・発売が、臨時の社長賞として表彰されました。賞品として貰ったのは銀色の表彰楯とティファニーの銀張り時計です。通常ならばどちらも金色のはずだったのですが、臨時ですから・・・。新剤型薬LAの承認取得後には新カルシウム拮抗薬Pの専任PMとなりました。当然と言えば当然ですが・・・。

 一方、社長肝いりの新化合物Aは会社初の国際開発を狙った戦略品でした。最重要国はもちろん米国です。米国でも国内とほぼ同時進行で臨床開発を進めていました。臨床開発責任者のN先輩は社長から重宝がられ、私が禁煙を始めたころから担当部長職に、一年後には正部長職に昇格していました。社長の関心が高く、N先輩の席までしばしばやって来るようにもなっていました。正直、羨ましく思いました。

 社長は酒席が好きで、こぢんまりしたバーにほぼ毎晩、取巻きを引連れて足を運ぶのが常でした。いつも米国の子会社製の赤ワインを楽しんでいました。そのお供をするN先輩は、誇らしくはあるものの、とても辛かったのだろうと察します。

 重大な人事がその場で決まることもあり、気持ちよく酔っ払うなどできる雰囲気ではないのです。まさに正真正銘の正規の業務、気楽な(?)サービス残業などではありません。その代り会社の極秘情報をしっかり仕入れていたに違いありません。私も2~3度同席した経験がありますが、酒好きの私にはとても務まるものではありませんでした。

 N先輩も上昇志向・権力志向の強い人でした。チャンスとみるや社長にベッタリと取入って昇進・昇格させてもらう、これは勤め人としてザラにあるパターンです。N先輩にとっては願ってもないチャンスです。ただ、ナリフリ構わぬ露骨な生き様には正直呆れました。部長職を鼻に掛け、唯我独尊、高慢・傲慢な発言が私に向けても繰り返されました。

 部内の人事考課の結果をみると、昇進・昇格はN先輩だけが対象で、部下である同僚の成果を独り占めしたようにも見えました。それが鼻につきました。私も上昇志向が強かったのですが、N先輩の態度には憤懣やる方ない反感を抱きました。

 今振り返ってみて、反感は嫉妬がらみだったのだと思い当たりました。嫉妬は「人間は皆平等」という自他の混同から湧き出るものです。なぜN先輩に出来ることが自分には出来ないのか?社長は奇抜なことが好きな人ですが、私は逆に保守的です。性格が合いません。自分も社長に取入りたい、現にN先輩は出来ている。だが改良したに過ぎない新剤型薬LAに成功したぐらいでは厚かましくてとても出来ない。そのことが悔しくて嫉妬を感じていたのだと気が付きました。

 嫉妬はマイナス感情として飲酒を促す典型的な要因のひとつです。面白くないから嫉妬することになるのです。

 私も期限内に新剤型薬LAの発売に漕ぎ着け、今度は本格的な新薬の担当になったわけです。これに成功すれば最低でも部長職なるという目に見える実現目標と欲が湧いてきていました。田舎を出る時、世間から一角の人物と認められること、家庭を築き自前の家を構えることを秘めた目標にしてきました。たとえ部長職であっても、就くことができれば大学入試に二浪してしまった引け目が償われ、世間からも一応は一目置かれるような社会的地位に就けると思ったのです。

 良いことは続くもので、長男が私立中学の入試に合格でき入学しました。さらに、定評のある住宅地の新築分譲マンションにも転居できました。マンションの購入は、田舎を出た時からの目標の実現に当たります。ただし、35年間のローン付きですが・・・。

 この時期にマンションを購入しようとした動機には、長男が中学入試に失敗した時に予め備えようとしたこともありました。小学校の同級生と同じ公立中学に進学しないで済むようにすることです。中学受験専門塾に通わせ始めたころから妻と一緒に物件を検討し始め、夢のような好物件に競争率36倍の抽選で見事に当たったのです。

 これらが、私が39歳の時の大きな出来事です。第三者的にみれば会社勤務時代の絶頂期と言えるでしょう。定評のある住宅地の住民になれたこと、本格的な新薬の担当になって一定の地位に付ける目途が立ったことから、鼻持ちならない慢心が湧いていたのでしょう。内心有頂天になってしまい、気持ちだけが先走りしていたと思います。頭の中が空回りしていると感じることがよくありました。新しい担当業務に何故か気が急いて上滑りしているような浮ついた日々を送るようになっていました。

 「好事魔多し」という言葉があります。ささやかながら成功を収め有頂天になっている。目前に出世欲を満足させ、実現可能な具体的目標がある。しかし、気持ちが空回りして地に足が着いていない。明らかに危ない兆候です。今思うに、何か悪いキッカケがあればアルコールにどっぷり浸かりそうな条件が見事に揃っています。そうは思いませんか?

 N先輩が臨床開発責任者で、社長肝いりの新化合物Aも、この年の秋、米国に先駆け国から承認を受けることができ、発売に漕ぎ出しました。当然ながら会社こぞって新化合物Aに関心が流れて行きました。


アルコール依存症へ辿った道筋(その6)につづく



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コメント (1)
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