ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

リハビリのつもりが何時の間にか趣味に・・・

2016-01-08 08:34:51 | 言語化
 このブログへの投稿は週1回の頻度で行っています。毎日投稿できているブロガーをみていると羨ましくて仕方ありません。記憶障害と想起障害に苦しむ私としては、どうしたらこんな風にいともたやすく出来るのだろうと悩ましい限りです。

 私の場合、一昨年の9月(断酒11ヵ月目)からブログを始めていますから、今回で73回目の投稿ということになります。毎回の投稿作業はテーマかモチーフが閃いたときがスタートです。テーマやモチーフが閃いたとしても、浮かん来るのはおおよその趣旨だけで、論旨展開は思いつきそのままの乱雑そのものです。ですから、最初の2~3日は論旨展開の組み立てと、主だった言葉の肉付けに費やします。残る3~4日かけて論旨展開の再考と言葉の吟味ということになります。それでも初稿はかなり粗雑なものでしかありません。適切な言葉や表現が浮かんで来ないために、もどかしい思いのまま何日間か待つだけのことも少なくありません。

 そもそものブログに手を染めることになった切っ掛けは、アルコール依存症専門クリニックの教育プログラムでした。断酒を決意し、回復に向け飲まない生き方を続けようとするなら、酒害体験を忘れないことが絶対に必要だというのです。さらに、アルコール依存症者は、他人に認められたいという “承認欲求” が殊の外強く、その欲求不満が難題ともいわれました。

 それらの課題解決にヒントを与えてくれたのが患者仲間の体験談でした。専門クリニックでは週一回、患者仲間の体験談を聴く定例会があります。その定例会で、自分史を書いてみようと語った患者仲間がいたのです。自分史(?)、その話を聴いてこれだと思いました。自分史を綴ることは、酒害体験すべてを記録として残すことになり、それを人に読んでもらえるようブロブに投稿すればよいのではないか。回復へのリハビリとしてピッタリで、まさに “一石二鳥” だと考えたのです。私の職歴からいっても、文章を書くことに何ら抵抗はありませんでした。

 実はかつて、私自身も定年退職後には自分史でも書いてみようかと思ったことがありました。ただ、自分史などという厖大なものを書き続けるには、芯となるモチーフが欠かせません。何をモチーフとすべきか分からないまま、定年退職を迎えてしまいました。

 繰り上げ返済を続けたお蔭で、58歳で住宅ローンを前倒しで完済できていました。息子二人もそれぞれ独立できていました。墓地も住いの近くに購入済みでした。年金と預金の蓄えで、無理して働かなくても老後の生活はどうにか暮らせそうでした。二度目の狭心症も経験しました。これといって定年退職を機にやりたいことはありませんでした。・・・ 最早やるべきことがなくなっていたのです。こんな状況ですから、勢い無聊を酒で紛らわすだけ、そんなサンデー毎日に一直線となりました。自分史を書くなど、どこかに吹き飛んでしまっていました。

 こうしたわけで、専門クリニックの定例会で語られた患者仲間のアイデアは渡りに船でした。サラリーマン現役時代のいやな思い出はいつでもアルコール絡みでした。アルコール絡みの、マイナス感情に囚われた生き様をモチーフにするのなら、自分の半生を綴るのにピッタリだと思ったのです。

 それと同時にか、暫くしてからかは忘れましたが、私と同様にアルコール問題に悩んでいる多くの現役世代のことについても考えました。恐らく本人自身は気づかずに、またたとえ薄々気づいていても、誰にも悩みを打ち明けられずに独り悶々と苦しんでいるに違いありません。

 “一人で抱え込むよりも(周りを)抱き込む” 仕事の効率を上げるためにも、精神衛生の上でも、仕事の流儀として最善の策と考えています。この仕事の流儀をアルコールの悩みにも応用して貰えたら、少しでも人の手助けとなれるかもしれないと考えたのです。アルコール問題は、一人で悩んでいても、独力では決して脱することが出来ない問題です。私の体験が、一人でも多くの人を救えるきっかけにでもなってくれれば、・・・そう考えました。

 ブログへの投稿を決行したのは、憑きモノが落ちたと実感してからのことです。体験談を聴いて自分史を思い付いてからというもの、酒害体験を書き溜めてはいたのですが、アルコールの軛が投稿の決行を邪魔していたようにも思えます。謂わば正気に戻ってみて初めて、アルコールの軛の諸々に気づかされたと言った方がピッタリかもしれません。書き始めて間もなく、次のような原則を守るように心掛けました。


 ○ 事実関係の客観的な記録を残すことを優先し、単に感情を吐露
   する場にはしない
 ○ 常に “なぜ?” 、“本当?” と自分自身に問いかけながら書く
 ○ 書いた言葉がそのときの気持ちや考えに合致するまでとことん
   表現にこだわる


 自分に正直に向き合い、自分が思っていることを出来るだけ掘り下げてみようと考えました。そのために書く分量の目安は、毎回A4サイズでおよそ2ページ半(約3600字)を原則にしています。原則とは8割方守られることを意味します。もちろん例外もアリ・・・です。

 「話すことや、書くことこそが、考えることそのものだ」と言った人がいました。声にして出すか、文字に書いて目に見えるようにするか、とにかく一度自分の外に考えを出してみることが大事だと言っているのだと思います。

 私は、このことが “言語化” だと理解しています。考えが、自分の頭の中だけで堂々巡りをする ―― このような循環思考のままでは、たとえ考えているつもりでも何も生み出しません。一旦言葉にして外に向かって発し、自分から離してみなければ、悶々としたまま澱のように溜まっていくだけです。書くということは自分自身との対話です。決して循環思考ではありません。

 アルコール依存症者は二者択一的な白黒思考に支配され、認知の歪みが指摘されています。“言語化” は認知の歪みに焦点を当てて、認知を修正しようとする認知行動療法の一つです。“言語化” には、前頭葉を活性化して海馬との連携を深め、アルコール依存症からの回復を促す効用があるとも考えられています。

 アルコール依存症から回復に導くもう一つの鍵は、生活の “秩序とリズム” の維持にあると考えています。ブログへ投稿を始めるようになって、投稿することが一週間の生活サイクルの構成要素となり、さらに一日の一定時間をブログの原稿作りに費やす毎日となりました。ブログ作成が生活リズムの一端を担うまでになったのです。

 アルコール問題からのリハビリを目的の一つとして始めたブログのはずですが、いつの間にか趣味としても無くてはならないものに変わっています。アルコール依存症になっていなかったなら、ブログへの連載など想像すらできないことです。アルコールに溺れたせいで死の縁まで経験しながら、その置き土産を糧に実りある第二の人生を歩む ―― こんな皮肉なことってあるのでしょうか?

 記憶障害や想起障害については、ブログに投稿するようになって、その深刻さを実感させられました。

 公表し始めて改めてその酷さに気づかされました。原稿作成は毎回が難義の連続です。が・・・、書いている分には読み直し、書き直しが何度でも可能ですから、まだ対処の仕様があります。読み直しを繰り返して書き直してみても、まだ言葉に違和感が残ったままのこともあります。そんなときにはどうしたものか途方に暮れるのですが、・・・。

 “熟成には時間をかけて寝かすもの、想い続ければ言葉もそのうち浮かぶもの” ・・・と自分に言い聞かせています。これが、私が言うところの “言語化” 作業です。



“言語化” については以下の二つの記事もご参照ください。
“心の落ち着き(serenity)が分かる”
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/4b907543497d4fdd39a81ff727208335

“回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる”
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/ddae0e4381793bed7cd7607a548fe937

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コメント (2)
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