ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“物忘れ” ― 単なる健忘? それとも認知症?

2016-01-29 08:57:06 | 病状
 このところ「物忘れがひどくなった」とか「物覚えが悪くなった」と思い知らされることが多く、ついつい “記憶障害” に関することをこのブログのテーマに選んできました。もちろん、アルコールの置き土産 ―― PAWSの一つとして考えてみるためです。今回も “もの忘れ” についての私の考えを整理し、併せて心構えと対策について考えてみようと思います。

 “物忘れがひどい” というと、連想してしまうのが “痴呆” = ボケです。老年期を迎えた私にとって、何が脅威かと言って、“痴呆” ほど脅威に感じるものはありません。

 “がん” 、“脳卒中” 、“心筋梗塞” 、これら成人病は文字通り老年期に起こりやすい病気ですが、脳が正常に機能している限り私には怖くはありません。激しい痛みや身体的不自由を余儀なくされるでしょうが、正常な脳でその苦しみや悩みを正常に訴えられる状態であれば、それなりの手当てが受けられ、まだしも辛抱できると思っています。私はそういう覚悟でいます。 “痴呆” になったら、自分が何をやらかしているのかも分からなくなると言いますから、理性的(?)な私としては、これほど恐怖に駆り立てるものはないのです。

 それでは私が持っている知識を整理してみます。私が医者に直接聞いたりネットで検索したりしたものを情報源としています。

 まず、“痴呆” 、認知症、健忘、といった言葉について整理しておきます。“痴呆” には蔑視の意があるとして、厚生労働省により平成16年(2004)に変更され、現在は認知症が正式な病名です。健忘症については、医学用語ではありません。健忘の “健” は、甚だの意で、健闘の “健” と同じ意味だそうです。健忘とは、記憶の喪失が限定的で、比較的限られた事項や一定の期間に限り現れる症状のことで、広範囲にわたって全般的に生じる記憶の低下ないし記憶減弱とは区別されるといいます。私のように “物忘れがひどい” 状態のことは健忘と言うのでしょう・・・ネ?

 次に、病的異変に気が付いたのは “誰” なのかについてです。これが実に重要なことなのだそうです。病的異変というと、普通は本人が自覚するものと思いがちですが、精神科領域では本人に病気という自覚がないことの方が多いそうです。このことを “病識がない” と言い、これを一番の特徴とするのが精神病の典型とされる統合失調症だといいます。ちなみに、漠然と病気と感じているにすぎないことを “病感” というそうです。

 驚くべきことに、本物の “うつ病”(大うつ病 / 大うつ病性障害)も患者本人には “病識がない” のだそうです。内科を受診し、検査しても原因が分からないままに、精神科に回されて来て初めて “うつ病” と診断される ―― これが通常の例だと聞きました。

 つまり、これといって直近に思い当たる原因やキッカケがなく、眠れない、食欲が湧かない、身体が怠くて疲れやすいなどの身体的不調が主な悩みと訴える例が普通であり、気力が湧かなくて億劫なことからどうしても仕事に行けないなど、同時に自覚している症状が精神的異変のせいとは思いもしないのだそうです。

 別離や失敗、喪失などをキッカケに、その直後から気分が落ち込むことは普通によくあることですが、それを悩んで本人が精神科を受診しに来る単なる “抑うつ状態” とはチョット別と考えた方がいいようです。(この辺は難しく分かりにくいです。)

 認知症も “病識がない” のが特徴だそうです。認知症の患者本人は周りに迷惑をかけている認識(自覚)がないのです。患者本人に自覚がないので、周りの人々にはやりたい放題の困った行動と映ってしまうのだそうです。周りの人々の方が迷惑を蒙り、困り果てた挙句に本人に付き添って精神科を受診させる ―― これが患者に “病識がない” という本当の意味だといいます。

 困っているのは本人自身なのか、それとも異変に気が付いた周りの “誰か” なのか? 困っている主語は患者以外の周りの人々なのです。統合失調症については誰でも頷く当たり前のことですが、認知症を考える際にも実に重要なことだそうです。逆に言うと、本人自身が病気と自覚している限り、認知症までは進行していないということになります。

 昨夜の食事の内容を忘れたというのは物忘れで、たった今食事したことも忘れるというのが認知症 ―― よく知られている認知症の譬(たと)えです。食事にまつわる記憶の有無以外には、今日が何月何日か思い出せない、物の名前が出て来ない、簡単な計算ができなくなった・・・など、最近はTVの健康番組でもよく取り上げられていますから、誰にも身近な問題として関心が高まってきています。

 それで従前には躊躇していた精神科の敷居が低くなって、物忘れが心配になった本人が精神科を受診する例が増えているそうです。その結末はもうお分かりと思います。一通りの検査を行った後に下される診断は、「まだ認知症になってはいない」です。

 断酒を始めて1年半ぐらい経ったときのことと思います。お湯を沸かすほんのチョットの間、タバコを吸いにヴェランダに出た途端、湯沸ししていることを忘れてしまい、ヤカンの空焚きを何回か繰り返したことがありました。それまで目に映っていたものから視線が変わると、新たに見えたものに気を取られてしまい、本来なら次にすべきことをもう忘れてしまうことが他にも頻発していました。それで、物忘れの酷さを医者に相談してみたのです。その時念頭にあったのはもちろん認知症です。

「それで、その後はどういうふうに心掛けていますか?」
「お湯を沸かすときは、ガスレンジに張り付いたまま離れないようにしています。」
「原因と結果が認知できていて、その対策も立てられているので大丈夫ですよ。認知症の心配はありません。原因も結果も分からず、もちろん対策など立てられないというのが認知症です。」

 自分の異常に気が付いていること、防止対策を実行していることが大切なのだと教えられました。私としては、自分の異変に “気づき” 、医者に躊躇なく相談できること、そのことの方がむしろ肝腎要と考えています。何か変(?)ぐらいでは医者に相談もできない、というのが普通ではないでしょうか? “何をどう相談したらいいのかさえ分からない”、断酒して間のない頃のまだモヤモヤの残る脳ミソではこれが本音だと思うのです。

 物忘れを自覚したとき、どんな対策を心掛けるべきかについて考えてみようと思います。

 “廃用症候群” というものをご存じでしょうか? 入院などによって過度な安静状態が長期間続くと、筋肉が痩せ衰えたり関節の動きが悪くなり、全身の身体能力や精神状態に悪影響をもたらす症状のことです。“廃用性認知症” という言葉もあるそうで、脳機能への悪影響は明らかです。要は、使わないまま放置しておくと、脳も機能が衰えて使い物にならなくなるということです。

 脳の記憶機能に好影響を及ぼす刺激ついては、以下のことが知られています。


 ○ 手や耳などの器官を刺激して記憶したものは長く保持されやすい
 ○ 軽い運動は脳の血流をよくして記憶を司る海馬の脳細胞を増やす
 ○ 歩くことは前頭葉の働きを活発にしてくれる


 このような知見に準じてでしょうか、次のような提案をよく聞きます。いずれも脳に刺激を与えて好影響を及ぼすそうです。

 ○ 頭をフル回転させながら手指を動かす囲碁や将棋がよい
 ○ 歩くにしても、歩数を数えながら一定の間隔で歩むコースを横にずらす
  とか、計算しながら歩くのがよい
 ○ 役作りを考え、相手の表情を読みながら手指を動かし、言葉(声)も発
  する麻雀がよい


 私が実行していることは、道のゴミ拾いをしながら毎日一定距離(約4km)を歩くことと、ほぼ毎日ブログの原稿作成のため頭を捻ってキーボードを叩くことの二つです。それと、血小板凝集抑制薬シロスタゾ-ルを毎日服用しています。この薬は狭心症の再発を防止するのが目的ですが、脳梗塞の再発を減少させる効果も確認されており、認知症の進行を遅らせる効果も期待できそうだと言われています。今後、私がどうなるかは請うご期待です。

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 周りの人々の方が大変な迷惑を蒙ることではアルコール依存症も同じです。が、アルコール依存症では振戦などの離脱症状を本人が自覚していますから、“病識がない” 病気ではありません。“否認の病” と言われているだけあって、ただ単に、本人が認めたがらないだけの話です。外聞の悪さという社会的な事情と、酒害を矮小化させがちなアルコールによる記憶障害が原因ではないか、と私は考えています。

 アルコール依存症からの回復にも “気づき” が大切だとされています。異常な飲み方のキッカケは “なに” だったのか、その理由は “なぜ” だったのか、ひいては自分の性格の歪みが “どこ” にあるのか、それらに “気づく” ことが回復に欠かせないと言われています。


 ○ 酒を断って2年間ぐらいはドライドランク状態中であることに
   “気づく” こと
 ○ 思い込みから偏った受け取り方をしているかも知れないと
   “気づく” こと
 ○ 価値判断が鈍くなっていることに “気づく” こと
 ○ 感情の動揺に “気づく” こと


 “気づく” ことによって歯止めがかかり、視角を変えて考えてみることも出来るはずです。“気づき”=自覚するということは、認知症への用心のためにも、アルコール依存症からの回復のためにも、とても大切なことなのですね。
  “一歩引いて 一息ついて 一歩引いて”
 

特集「廃用症候群」については、こちらをご参照ください。


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コメント (4)
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