ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症の回復イメージ

2016-03-18 18:09:10 | 病状
 “ハードウェア” と “ソフトウェア” の意味が十分理解できていないのですが、敢えて生体の器官に当てはめてみます。一定の機能を持っている器官(臓器)そのものを “ハードウェア” とし、器官の機能の使い勝手の良さを “ソフトウェア” としてみます。

 一定レベル以上の機能さえ備えていれば問題ナシとする内蔵などの一般的な器官と異なり、脳は一定レベル以上の機能に加え、使い勝手の良さが要求される器官だと思います。むしろ使い勝手の良さこそが脳の生命線なのかもしれません。

 頭のキレとか頭の冴えとかが脳の “ソフトウェア” に当ると思いますが、脳の “ソフトウェア”  がアルコール依存症から回復するとはどういうことなのでしょうか? 脳の使い勝手のよさとは、多少のストレスを受けてもオタオタせずにブレない、いつでも調和のとれた司令塔の役割を果たすということではないかと考えてみたのですが・・・。

 内科的な病気 ―― たとえば内蔵が障害されたような場合は、血液検査を行えばどの臓器がどの程度重症なのかが数値で分かるのが通常です。回復の場合も同じく血液検査の数値で客観的に確認できます。ところが精神科領域の病気の場合、数値で分かる検査というものがないようなのです。病気であるか否かの肝腎の診断も、診察で得られた病状を診断基準の複数の項目に照合し、合致した項目数で診断を下すという、いわば医師の主観的な判断によっています。同様に回復の度合いについても評価基準はないに等しいようです。

 どんな病気でも、患者にとって最大の関心事はどの程度まで回復が進んでいるかです。いうまでもなくアルコール依存症は脳の病気です。アルコールという薬物を慢性的に使用したことが原因で起きた病気です。精神が障害されているらしいという負い目があるため、断酒後のアルコール依存症者は健常な精神状態に回復しているというお墨付き(診断)を殊のほか渇望します。回復=健常な精神 とはどんな状態なのか、患者自身はぼんやりとしたイメージがあるだけで具体的には分かっていません。

 自助会AAでも “回復” や “健康な心”、“心の落ち着き” などはよく取り上げられるテーマです。それだけ関心が高いのです。私自身も、例にもれず回復したというお墨付きが欲しい口で、医師に回復の診断をどうつけるのか質問してみたことがあります。案の定、数値で回復を確認できる検査はないという回答でした。(少なくとも、もう回復したのではと焦りが見えている内は、まだ回復には程遠いと後になって気付かされました。)

 内科領域では、器官(臓器)が正常に機能しているのか調べる方法に各種の負荷試験があります。代表的な負荷試験として、運動負荷心電図という狭心症の診断に欠かせない検査があります。強制的に運動させることで、心臓を栄養している冠動脈に血液が十分に巡っているのか調べる検査です。運動を負荷することで、心電図上に安静時には現れない変化が明らかになります。断酒後のアルコール依存症は心理的ストレスに敏感だと聞いていましたので、心理的に何か負荷をかけて調べる負荷試験の有無についても聞いてみました。負荷する刺激で病状が悪化する懸念もあるので、今のところないという回答でした。

 「ひょっとして、先生方は患者の顔つきを見て回復したと診断するのでは・・・?」と冗談半分で質問してみました。「ずばりその通りと言うわけじゃないけど、当らずも遠からずですね。・・・でも、10人の医者がやれば10人全員が同じ診断を下すようにはなっていますよ。」血液検査のような客観的な指標はないものの、顔つきや活々した目(目ヂカラ)、規則正しい生活リズム、良好な睡眠、言動の内容などから総合的に診断するのだと説明してくれました。回復者のイメージとして落ち着いたシッカリ者の人物像が浮かんで来ます。

 そういえば作家の曽野綾子氏が言っていました。“他人に道を尋ねられる人物になれ。胡散臭い顔の人物に道を尋ねる人はいない” と。私にも思い当たる節があります。回復したと思しき断酒歴の長い人は晴れやかな顔つきですが、回復途上の人の顔には負い目を背負ったようなどこか蔭りのあるのが共通した印象なのです。

 アルコール依存症に対して現代医療が出来ることは限られているようです。ビタミンB1点滴で身体的回復の方向へ導くこと。抗酒薬で再飲酒を抑止すること。薬で不眠やイライラなどを鎮めること。教育でなぜ諸々の問題を酒で起したのか患者自身に内省を促すこと。医療としてはこれぐらいが限界で、あとは生体の持つ自然な回復力に頼むだけのようです。「精神科領域では統合失調症や双極性障害以外は薬があまり効かない。アルコール依存症などは自然治癒力による回復を待つのみ・・・」と医師は本音を漏らしていました。実際、通院を続けた患者側からみれば、教育こそが断酒後のリハビリとして最も有意義なものだと感じています。

 私の場合、断酒10ヵ月後に “憑きモノが落ちた” 体験をし、それまで続いていた薄物のヴェールを被ったような脳の痺れ感も消えました。それからは鬱積していたものが弾けたような清々した気分になれました。これでアルコールが抜けた、今まではアルコールに囚われた状態だったのだと諸々の異常に気付くこともでき、自由な発想もできるようになりました。それでてっきり回復したと思ったものですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。些細なストレスへの反応 ―― たとえば自分の考えとは違う意見にすぐ苛立つなど、妙に感情的で過剰な反応をしがちだとも気付いたのです。それではっきりと課題が明らかになりました。多少のストレスなら柳に風と受け流す心、イライラや落ち込みなど大ブレすることなくしなやかに復元できる心、すなわち平常心を保つことが今後の課題だとということです。

 平常心への手がかりをくれたのは自助会AAでした。現代医療ではカバーしきれないところにこそ自助会の存在意義がある。このことに納得させられました。次の言葉が回復への手がかりになりそうです。

  “ありのままを、ありのままに受け入れる”

ミーティング・テーマとしてよく採用される言葉です。私はこれを次の二通りに解釈しています。

  “ありのままの自分を、ありのままに受け入れる”
  “事実を事実として ありのままに受け入れ止める”

 上段は、「自分は斯くありたい」とする自己の理想像を鑑とするのではなく、欠陥だらけの現実の自己をそのまま受け入れることです。自分にいやな性癖があることに承伏し、マイナス感情の動きもリアルタイムで把握できるようになることと考えています。これこそが自分に正直であることです。決して自分の短所を無理して直そうとすることではありません。

 下段は、他人の考え方や意見に倣った見方ではなく、事実は事実としてそのままに認めることです。偏見や先入観なしでものごとを見ることです。感情的にものごとを見ることではありません。現在の私にとって、これらの言葉を手がかりに平常心を保てるようになることが目標です。平常心こそが現時点での回復イメージです。

 Face Bookに、ひきたよしあき氏が平常心について次のように書いていました。これもよい手がかりになりそうです。

  空気を読む(状況を把握する)
  風を読む(未来を推測する)
  心を読む(心理を分析する)
  英国紳士は昔から、「おだやかなることを学べ」と教えられる。
  どんなときも取り乱すなということだ。
  日本にも「平常心」という言葉があるが、
  我々の場合は心を鍛えて、我慢することで、心の均衡を保つ。
  しかし、英国紳士は、状況、未来、心理を瞬時に判断する学問
  の力で、おだやかでいる。

                               ( )内、ヒゲジイ追記



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コメント (4)
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