ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

忘れてはいけないこと 忘れられない言葉(上)

2016-06-03 08:09:18 | 病状
 “喉元過ぎれば 熱さ忘れる” どんな辛い体験でも過ぎてしまえば忘れるもの。これがあるから、過去にどんな辛い体験があっても、いつまでも引き摺ることなく前向きに生きられるのかもしれません。が、アルコール依存症者にとってこの言葉は、命取りとなる再飲酒の誘惑に用心せよとの戒めでもあるのです。

 生まれて初めて断酒に取り組んで、そのまま長く続けられたという大酒飲みはいないはずです。もしいるのなら、その人はアルコール依存症ではなかったのでしょう。大酒飲みなら誰しも、ブラックアウトでとんでもない不始末をしでかしたとか、肝臓をやられたとか、警察沙汰か健康問題で一度は禁酒を決意し、実際に試みたことがあるはずです。大抵はせいぜい1週間程度、何とか禁酒を持ち堪えた後、もう大丈夫だろう(?)と再飲酒してしまったのではないでしょうか。そして、禁酒以前よりもお酒の量が遥かに増えてしまった経験の持ち主でもあると思います。

 私も一般病院で手の振戦を見咎められ、初めてアルコール依存症と診断されたことがキッカケで、医者から禁酒を命じられました。御多分に漏れず、それからというもの、何度か断酒を試みてはその都度失敗しています。今回の断酒は、専門クリニックで改めてアルコール依存症と診断を下され、有無を言わせず始めさせられたものです。

 初回診断時と決定的に違うのは、最低3ヵ月間の毎日通院と充実した教育プログラムでした。この病気がなぜ問題なのか、その怖さと難しさを徹底的に刷り込まれました。一杯のつもりの酒で元の木阿弥となってしまう不治の病であること、まだ大丈夫アル中なんかじゃないと思いたがる否認の病であること、酒害体験を決して忘れないことが断酒継続に必須なこと、等々です。

 このようなプログラムを受講したにもかかわらず、再飲酒してしまう人は猶います。身体の方は回復していますから、“喉元過ぎれば・・・” で仕方のない面もあります。それを防ぐ意味で、初心者プログラムを終えた患者には、心理社会的治療として自助会風のテーマミーティングが持たれます。与えられたテーマに沿って話すことと、言いっ放し、聞きっ放しに徹することだけがミーティングでのルールです。

 先日のテーマは “忘れてはいけないこと” でした。初心者プログラムで口酸っぱく言われ続けたことのお復習いと受け取ることもできるテーマでした。

 今回は初めて、“忘れてはいけない” 酒害体験として、以前患者仲間の体験談から思い出せたビタミンB1欠乏による運動障害(アルコール性小脳失調)について語ってみました。

 以前なら、“いの一番” に思い浮かべたのは、専門クリニック初診時前後に経験した諸々の症状(体験)でした。初診1ヵ月ほど前から断酒開始直後にかけて、私が味わった悲惨な経験のことで、身体的 “底着き体験” と、私なりに位置付けているものです。頻繁なブラックアウトで記憶が断片化したことや、失神・転倒発作の繰り返し、失禁に近い “ゆるゆる” 状態、幻覚・幻聴がそれです。

 しばらくして、精神的 “底着き体験” についても話題にするようになりました。断酒10ヵ月後に突然味わった “憑きモノ” が落ちたとでも言うべき体験のことで、断酒してから酷くなった性的妄想やら、ずぅっと薄物のヴェールを被っていたような脳の痺れ感やらが消え、アルコールの毒が抜け切ったと実感できたことです。このことは私個人に特異的な体験と考えています。

 それが断酒何ヵ月目かに、重大な見落としをしていたと気付かされました。キッカケは、専門クリニックの例会で聴いた、患者仲間のビタミンB1欠乏症についての酒害体験でした。私にも同じことがあったと気付かされたのです。

 起床時に布団から立ち上がれなくなったこと、着替えのときにボタン嵌めができなくなったこと、下りの傾斜や階段を普通に歩いて降りられなくなったこと、要するにビタミンB1欠乏症で身の回りのことが一人では出来なくなっていました。人を巻き込み、人の介助なしではもはや生きて行けそうもない、と覚悟を迫られた切実な問題でした。まさに “喉元過ぎれば・・・” で、すっかり忘れていたのです。

 先に挙げた身体的諸症状は、死期が近づいていると思わせるに十分で、聴き手も共感できるハズの、いわば派手な体験でしたが、その一方でビタミンB1欠乏症という一見地味に見える体験もあったのです。地味ではありながら、これも “忘れてはいけない” 重大な身体的 “底着き体験” です。それを患者仲間が思い起こしてくれたのです。体験談の大切さが身に染みました。

 上に述べたことはいずれも立派な酒害体験ですが、“忘れられない言葉” が酒害体験で語られる場合もあります。今回のテーマミーティングで聞いた患者仲間の体験談に触発され、久々に思い起された妻の言葉がありました。キツーい一言の一字一句が蘇って来たのです。そのキツーい一言とは・・・
「あなたの介護なんか、私できないからね!」

 院内規則違反の名目で一般病院から強制退院させられ、自宅に戻って来たときにこう通告されたのです。便失禁やら失神転倒やらの挙句、やっと一般病院に入院(4泊5日)できたにもかかわらずのことでした。とうとう見放されたと思いました。この言葉のお蔭で、精神科を受診するしかないと踏ん切りがつき、今の専門クリニックに繋がることができました。私にとって、まさしく “忘れられない言葉” なのだと気付かせてもらいました。

 このように体験談が聞ける場は、“忘れてはいけないこと 忘れられない言葉” を気付かせてもらえる貴重な場になっています。ありがたいことです。
(次回に続きます)



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