ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

脳はスッキリ キレイがお好き?

2016-10-07 08:41:37 | 病状
 落ち着けるところと言えば、自分の部屋が一番ではないでしょうか。私は掃除好きではありませんが、部屋が散らかっていると自分の部屋でもイライラして落ち着きません。最低限でも、あるべき所にあるべき物がちゃんと置いてあること、あってはならない所には物がないことが大切で、これが乱れていると落ち着かないのです。埃だらけの部屋ではありますが、部屋の片付けだけは自分なりにしっかりやっているつもりです。

 連続飲酒に入った時期の私の部屋は、それはヒドイ状態でした。敷き放しの布団と、アルミの空缶やら、ゴミの詰まったレジ袋やらで足の踏み場がないほどの散らかり様でした。やる気が失せて片付けなどはどうでもよく、後で後でと先送りしていました。そんなヒドイ状態でも平気でいられたのが不思議です。ただ馴染んだ自分の部屋だからと納得していたことは間違いありません。

 ところが自分の部屋でないと、そうはいきません。散らかった中に招かれでもしたら、客に対してこのザマはと納得できず、居心地の悪さに落ち着くどころではありません。友人の部屋であればそのうち慣れてもきますが、馴染むまで結構時間がかかるものです。趣味の違いに折り合いをつけようと、友人の意図を汲みながら自分の頭を整理し納得するのに時間がかかるのだと思います。

 どうやら散らかっているか否かの判断は、その場を見たとき自分なりに納得できるか否かに掛っているように思えます。自分なりに状況を整理し、それで善しと納得できたらそれ以上問題にしないようなのです。

 不要になった所有物がゴミですから、捨てるのは当たり前の行為です。ゴミは、焼くなり埋めるなり、所有者自身が最後まで始末をつけるのが古来の捨て方のハズです。自分一人ですべてに始末をつけられないので、役割分担しているのが人間社会です。大抵は暗黙のうちにお互いの守備範囲をお互い諒解し合って暮らしています。ゴミの始末も役割分担しているのが現代社会です。

 公共のマナーはその暗黙の諒解の最たるものです。その土台は、幼児期から各家庭で育まれた似たり寄ったりの生活文化、言い換えれば似たり寄ったりの美意識です。私は、そんな土台はお互い共有しているのが当たり前だと思っていました。その暗黙の諒解が今や当てにならなくなったと思わずにいられません。ポイ捨てのゴミで道が散らかっている様を見ると、無神経な行為者の方にむしろ目障り感を持ってしまいます。

 なぜ所構わずポイ捨てするのか? 自分の手から離れさえすればそれで万事済みとする発想が理解できません。ポイ捨てという行為が私の感覚とは相容れないのです。どう頭の中で整理をつけようと試みても、やった人物が未熟だからとしか思えません。それ以上整理がつかない、つまりどうにもならないのでつい苛立ってしまいます。路上のゴミ拾いを始めてしばらくはそんな状態でした。

 脳というのはうまく立ち回るものだと、意外なしたたかさに感心させられました。ゴミ拾いを続けているうちに、モノの見方が変わって来たのです。ゴミが散らかっている場を見た途端、決まって捨てた人物像に意識が飛んでいたのですが、ゴミそのものをちゃんと見るようになれました。そして、どんな手順で処理すべきかをすぐに考えるようになりました。

 いつまでも整理がつかないことは、考えても疲れるばかりで埒が開きません。それならばと脳が整理しやすい現実的処理の方に向きを変えたとしか思えません。こじつけと思われるかもしれませんが、アルコール依存症に特有の自衛的発想である他罰的思考と同じような仕組が働いたとしか思えません。他罰的思考とは、飲酒の誘因を他に転嫁する考え方のことで、自己防衛本能によるとされています。

 疲れの話が出たついでですが、最近、脳が疲れてきたらどんな状態になるか、具体的に認識できるようになりました。私の場合は疲れてくると、次第に頭の中であれやこれやが飛び交って収拾がつかなくなり、散漫状態の挙句に脳が固まって思考停止の状態となります。解決の道筋が見えないというのも疲れの原因となるようです。頭の中がグルグル空回りするばかりで不穏な気分になって来ます。思い切りの悪さが出始めるのも疲れの兆しのようです。次にやるべきことを決めたにも関わらず、グズグズ先延ばしでなかなか踏ん切りがつかないでいることです。話は前後しますが、これらの症状の直前には頭が鬱血したような感覚が先行します。血液が留まって血の巡りが悪くなったような感覚のことです。

 疲れとは別ものかもしれませんが、出掛けるときになりがちなある気分が最近気になっています。急かされてでもいるように妙に浮き足立った気分となり、忘れ物の点検をと室内をちゃんと見ていたハズなのに、その実、物がまったく見えていないことがよくあります。いざ出発と、玄関ドアを開けてやっとその忘れ物に気づく有様です。(これは単なる老化現象なのかもしれません。急かされてでもいるように浮き足立った気分というのが兆しのようです。)・・・どうです? 私に限っての話かもしれませんが、思い当たる節、ありませんか?

 限られた私事の事例ばかりで恐縮なのですが、未整理の乱雑な状態を目にすると、脳はどうにか整理をつけようと努めるようです。整理がつく道筋さえ見つければ、脳は苦も無く快調にそれを処理し続けます。どうにも整理がつかないようなら、脳は疲れて固まった挙句に思考停止となります。整理がつかないままいつまでも引き摺っていては、疲れて気分が落ち込んでしまうのも道理と思います。

 どうやら脳は、混乱した無秩序な状態や筋道が見えない事柄が嫌いなようです。これをさらに敷衍すると、先行きが具体的に見えない将来のことや、自然の法則に沿わない昼夜逆転の生活リズムなどを大の苦手としているようです。その真逆の状態、すなわちバランスよく調和がとれた秩序ある状態やよく整理され筋が通った事柄が脳のお好みで、昼間の活発な活動や朝の光に即応した目覚めなど、自然のリズムに合ったことが大好きなのだと思えるようになりました。ザックリ言えば、「脳はスッキリ キレイがお好き」な堅物なのです。

 こんな堅物の脳でも、たまには浮気心もあるようです。若いうちは、冒険心からなのか未熟なせいなのか、未知なものや危ないものに惹かれてしまいがちです。未知なものや危ないものは秩序が保たれたキレイの対極にあるものです。大抵が性絡みの、大人のイメージの強いものです。大人願望から刺激を求めて魔が差したのでしょうが、ちょっと齧ってみたら大抵はすぐに興醒めするものですが・・・。

 大人願望といえば酒やタバコがあります。成分のアルコールやニコチンは依存性薬物です。一旦味を占めたら止められません。これらは秩序が好きな脳の機能を邪魔します。アルコールはその邪魔者の筆頭です。また、あれもこれもと欲しがるばかりで諦められないのも整理を邪魔する困り者です。物品にしろメンタルにしろ、一つ選択したら他は諦め捨て去るしかないと潔く受け容れればよいのです。断捨離とはうまく言ったもので、これこそ整理が大好きな脳が大歓迎する友軍です。

 脳が疲れてきたら危険です。魔が差す隙が生じます。こんなときには思い切って睡眠を取るのが一番です。瞑想も良いと聞きました。楽な姿勢で眼を瞑り、上顎の歯茎に舌をつけ、呼吸にだけ集中する。これを3分続ければよいそうなので簡単です。これで記憶の中枢・海馬が元気になれるのだそうです。疲れが長引くようなら脳本来の好き嫌いを思い出すことです。脳の苦手なことは極力避け、大好きなことにだけ励むとうまくいくようです。性格は直りませんが、行動(パターン)を少しだけ変えるのならそう難しくありません。

 私がやっているゴミ拾いは脳の好みに忠実に従っているだけです。人間社会において、脳お好みの秩序を維持するのは公共心です。私個人としては、脳の好みに合う身の振り方がどうにか分ってきたのですが、若い人たちに公共心をうまく植えつけるにはどうしたらよいのか? ただ手本を示すだけしか思いつけないのが残念でなりません。

 今回はネタ切れをいいことに、独り善がりの屁理屈を書いてみました。戯言にお付き合い下さって、ありがとうございました。



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コメント (5)
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