ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その1)

2016-10-28 16:05:38 | 病状
 3年前の10月25日から私は酒を飲まずに過ごしてきました。正確に言うと、24日夜から一般病院への入院で半強制的に禁酒状態におかれ、強制退院後アルコール専門クリニックに外来通院し始めた30日から自主的な断酒生活が始まったということになります。それから丸3年が経ちました。

 私が属す自助会Alcoholics Anonymous(AA)では、断酒という言葉を使わず、飲まない(生き方)という言葉を使います。大した違いがないように見えて、実は気持ちの持ち方に大きな違いがあります。断酒にはどこか強迫的な響きがありますが、飲まない(生き方)には自律的な意志が感じられ、AAではこのことを重視しています。この3年間でそんな違いが実感できるようにもなりました。心境の変化はモットーとしていた言葉からも窺えます。意味合いが違うという話は後にして、ここではそんな言葉のニュアンスの違いに拘ることなく、両者を使いながら継続断酒3年の心の軌跡について話を進めて行きたいと思います。

 まず手始めに、断酒を始めて10ヵ月後までモットーとしていた言葉を古い順に挙げてみます。

 ● 底着き体験を決して忘れない
 ● 秩序とリズム
 ● 「命を採るか」、「酒を採るか」の二者択一

 断酒を始めて3ヵ月も経つと、体調の方は順調に回復しつつあったのですが、物忘れが半端なく酷く、記憶障害が新たな脅威となりました。断酒開始前後の過酷な “底着き体験” さえ忘れてしまいそうで、記憶が生々しい内にと思い出せるだけの症状を記録し始めることにしました。体調が回復したことをいいことに、もし再飲酒でもしようものなら今度こそ命が危ない、そんなふうに怯えていた毎日でした。

 モットーの一番目 “底着き体験を決して忘れない” と三番目 “「命を採るか」、「酒を採るか」の二者択一” の言葉からは、記憶があやふやとなった精神状態にどれだけ危機感を持っていたか読み取っていただけると思います。とにかく生半可な気持ちでいては危ない、必死になって断酒に取り組むしかない、という決意を込めたものです。

 二番目の言葉 “秩序とリズム” は毎日通院で経験した実感から生まれたものです。すっきりした気分とまでは依然としていけてないまでも、毎日通院が殊の外良好な精神状態をもたらしている実感がありました。

 夜9~10時には就寝し、朝4~5時には起床。午前8時には家を出て、30分歩いて最寄りの駅に向かう。専門クリニックの教育プログラムを済ました後、午後3~4時には帰宅し、7時前後に夕食を摂る。これが当時の日課です。単調なワンパターンの繰り返しと言われれば身も蓋もありませんが、この規則正しい単調な繰り返しこそが断酒開始から2年間ぐらいの危険な時期に絶大な効果を発揮したのです。毎日規則正しい生活リズムを刻んでいると心に魔が差す隙などありません。

 部屋が散らかし放題では心が荒みます。部屋の片づけにも心掛け、散らかしっ放なしなどをなくしました。部屋が少しでもスッキリすると、それだけ頭もスッキリするから不思議です。秩序が保たれた生活環境と規則正しい生活リズムは、精神衛生上も最適で、心身ともに頗る快調にしてくれました。“秩序とリズム” は、今でも私が大切にしているモットーです。

 この一方で、密かに進行していたことがありました。継続断酒が3ヵ月を過ぎる頃から、時々精神的な一過性の動揺があったのです。最初の内は、あるときは一人明鏡止水の心境になったかと思えば、その一方で口達者なおしゃべりでしばしば燥(はしゃ)いでいたという塩梅でした。その後しばらく経つと、何の前触れもなしに一過性の胸のザワザワ感に突然襲われることもありました。動揺の実態とはこんな些細なことでした。たまにしかなかった胸のザワザワ感以外、普段とほんの少し違う程度にしか自覚していなかったので、体調の回復途上によくあることぐらいの気持ちでいました。

 継続断酒5ヵ月頃から医療スタッフに恋心を抱くようにもなりました。それを自制しようとしたことが却って性的妄想に火を着けることになり、ネットで手軽に見れるAV動画に嵌ってしまいました。世間常識に照らしてみてもおぞましく秘すべきことですから、年甲斐もない恥ずかしさが先立って医者にも相談できずにいました。俗に言う “憑きモノ” に囚われた精神状態で、どうにもならない無力感に一人悶々としていました。

 後から知ったことですが、これらは遅発性の離脱症状 ― 急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)の一つ、情動障害の典型だったと考えています。AAでいうドライドランクのことです。飲んでもいないのに酔っ払った状態を意味し、酔ったときと同様に感情の振幅が大きくなるばかりでなく、可笑しなことをしてるのに自分では変とも思わない精神状態でもあると考えています。AV動画についても、当初はちょっとした秘め事ぐらいの感覚で、異常な妄想のせいとは考えてもみませんでした。

 性的妄想に憑りつかれた状態は明らかにクロス・アディクションでもあります。この時期は、元々持っていた “飲む・打つ・買う” といった素因がクロス・アディクションとして顕在化しやすい時期でもあるようです。私の場合は “買う” が前面に現れたのだと考えています。

 性的妄想の囚われから解放されたのは継続断酒10ヵ月後のことでした。AV動画漬けにどうにもならなくなり、ヤケクソから相当数の作品を意地になって丹念に文章化し続けました。そうしている内に、いつの間にか(?) “憑きモノ” が落ちていたのです。

 AV動画に興奮しなくなり、虜になっていたこと自体が病的だったとはっきり自覚できました。同時にアルコールが完全に抜けたとも実感できました。それまで頭(脳)を覆っていた薄いシビレ感が消えていたのです。

 AV動画に嵌っていた時期も含め、私はこれを精神的 “底着き体験” と呼び、断酒前後の身体的 “底着き体験” と区別しています。医者の見立てでは、動画を文章で描写したことが認知行動療法の一つ “言語化” に当り、それが効いた成果だろうとのことでした。

 実はこれを期に、私の中でこれ以上に大きな変化が起き始めたようです。その大きな変化とは次の二つのことでした。その一つは、それまであまり気に留めていなかった些細な異変であっても、しっかり異常と自覚できるようになったこと。二つ目は、シャカリキに断酒を続けなければという強迫観念が次第に薄れ始め、飲まないでいる方が自然と思えてきたことです。

 このことからどうやら正気に戻れたという思いを強くし、こんなに早く回復できたのかと勘違いしたほどでした。それまで重かった口が軽くなり、医者に諸々の問題を気軽に相談し始めたので、医者から双極性障害ではないかと訝られたこともありました。

 これら内面の変化がはっきり自覚できるまでに1~3ヵ月ぐらい時間がかったと思います。日にちが経つにつれ、変化がじわりじわりと静かに浸透してきたような感じがします。振り返ってみるにつけ、“憑きモノ” が落ちた体験は私にとってまさに転機だったのです。
(次回につづく)


私の底着き体験・断酒の原点」(2014.9.8投稿)と
回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.5投稿)も併せてご参照ください。

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コメント (7)
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