ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“話す” って “放す” こと?

2018-06-15 05:55:35 | 自助会
 アルコール依存症者の自助会では、共通して “言いっぱなし・聞きっぱなし” がルールです。このルールがありながら、ミーティングや例会では迂闊なことは言えないと警戒感を持っている人が結構多くいます。下手なことを言ったら後で何を言われるかわからない、というのがその理由です。

 確かに、口外しないよう念を押されると却ってその秘密をバラしてしまう人が結構いますから、こういう懸念は理解できます。が、心配には及ばないのでは、と私は考えています。聞き手の立場から言えば、話がよく飛ぶのであまり覚えていないというのが実態で、印象に残る言葉はあったとしても一言二言ぐらいなのです。これは私だけではないと思います。

 むしろ心配するのは、当たり障りのない悩み事の話でお茶を濁してしまうことの方です。これではミーティングや例会の意味がなくなってしまいます。聞き手の前で悩み事を語って、胸のつかえを降ろすというのが第一義のハズだからです。

 たとえ正直に話そうとしても、あからさまに口にするのが憚られることも現実にはあると思います。そんなときは暗に匂わすぐらいに留めておいても構わないと思います。私も、性的妄想に取り憑かれてAV動画にハマっていたときのことを話した際には、さすがに慎重な言葉選びをしていました。

 隠しておきたい本音というのは、どんなに用心していても、しゃべっているうちに思わず口を衝いて出て来るものです。それがたとえ不本意であっても、一人で抱え込んでいたものを手放せる幸運にもなり得ます。こうしたことで心の奥底に淀んでいた澱のようなものや、腹に溜めこんでいたモヤモヤしたものの正体に気づけたり、スッキリと晴らせたりできたなら、それはそれでいいのではないでしょうか。
  
 「話す」は、声に託して思いを手放す意とも解釈できます。「話す」という言葉は、「咄」という国字があることからも「放す」が語源という説もあると聞きます。目の前に聞き手がいるからこそできることで、同じ “言語化” でも「書く」ことでは得られないことです。

 “言いっぱなし・聞きっぱなし” のルールは、質問や反論、意見を禁じているだけと了解すればいいのです。恥も、外聞も、見栄さえもかなぐり捨てる勇気さえあれば、長年溜め込んでいた胸のつかえさえもキレイサッパリ降ろすことができるハズなのです。

 「最初から思い切って、徹底してやるように、・・・」
(アルコホリク・アノニマス 第5章より)



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