ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

全身麻酔で知った死の正体?

2021-01-08 06:38:08 | 世相
 コロナ禍に見舞われている現在、生に恋々とし、死に怯えてビクビクしている年寄りが結構多いと思います。

 政府の、後手後手に回る泥縄式の対応に文句ばかり。すっかり受け身の “くれない族” になりきっている年寄りもいます。自粛、自粛で外を出歩かなくなり、家で巣ごもり状態なのですから無理もありません。

 ブログにも、そんな年配者の記事が散見され、大概が大病の経験者のようです。

 しかし、こんなことを続けていたら、筋肉が廃用性萎縮を来たして一層足腰が弱くなってしまうのが必定。運動不足で便秘がちな体調も閉塞感に拍車をかけ、気分が鬱屈するばかりです。

 こんな現状では、歩けなくなって寝たきりのボケ老人が増えることでしょう。何ともったいなく、情けない限りです。

 ところで、生まれて初めて全身麻酔を経験して気づかされたことがあります。「死とはとどのつまり、こんなものかもしれない」と。

 全身麻酔で意識がなくなったら、完全に何もない無の世界に放り込まれてしまいます。

 術中の痛みに苦しんだ記憶は全くありません。そして術後、麻酔が覚めた後でも術中の悪夢に襲われたこともありません。本当に、麻酔中の記憶が何もないのです。

 以前の私は、どんなふうに死を迎えるのか、死に対して漠然とした恐怖感がありました。死の瞬間ってどんなものかにも不安がありました。大方の人が同じ思いだと思います。

 得体の知れない何かに囚われ、大層もがき苦しんだ挙げ句に意識がなくなって、それでもその苦しみを引き摺ったまま死を迎えるのではないのか? 正直なところ、死の瀬戸際にあったアル症末期のときのイメージが強かったのです。

 ところがどっこい、全身麻酔がもたらしてくれたのは、死に対するイメージの一新でした。

 全身麻酔は人工的に意識をなくすこと、意識がないとは即ち脳死状態であること、脳死状態とは何もかもが一切無になること。・・・ 死の正体がわかったら、死への恐怖感がすっかりなくなってしまいました。

 さて、生きていて意識があるということは、それだけ記憶が増えることです。その諸々の記憶こそが経験となって人生の糧になるはずです。

 意味のある記憶は、日々の行動に伴って増えるもの。一日々々の行動を振り返り、その中から少しでも明るい意味を見出して、さて明日は何をしてやろうかと前向きに考えたらいいのでは? それが誰かのためにもなるのなら、なおいいと思います。

 “人生は、きっちり帳尻が合うようにできている”。何かに付けて消極的だった私でも、そんなふうに前向きに考えられるようになりました。

 ウイルス感染は、ある意味、物理化学の世界です。“3密” を避けるとは、物理的に距離を置き、接触による化学反応を防ぐという話。人混みを避け、手指のマメな洗浄とマスク着用とを励行しさえすれば、過度に怯えなくてもいいのでは?

 私は、寝たきりのボケ老人になるなど御免です。極力、“3密” を避け、後は運に任せて一人でどんどん外を歩きまくり、意味ある記憶を精一杯増やしていくつもりです。

 もちろん、医療機関には負担をかけないように心して、です。さぁ、一緒にがんばってみませんか、ご同輩!



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コメント (4)
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