ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“当たり前” の有り難さ

2021-01-22 06:18:36 | 世相
 先日、神戸方面行きの電車に乗っていたときのことです。

 途中の駅で電車が停車したと同時に、ホームで “ドスン” と物の落ちたような音が聞こえました。

 ホームが見えるドアの対面に座っていた男性客が、サッと立ち上がって電車から飛び出るや、しばらくして老女を抱きかかえるように車内に戻り、自分の元いた座席に座らせました。

 “ドスン” と落ちた音はどうやら、この老女が急いで電車に乗ろうとして転んだ音だったようです。彼女、逸る気持ちに身体が追い付けず足がもつれてしまったことが、よほどショックだったのでしょう、すっかり息が上がって返事もできない状態でした。

 件の男性はしばらくの間、「大丈夫ですか?」と、しきりに老女に声を掛けていました。ひとまず異常のないことを確認した後、彼自身は他の席には着かず、直ぐ傍らのドア側に立つことに。

 この頃になってやっと車掌が駆けつけ、運転手もドアの外まで様子を見に来ていました。無事を確認すると、彼らはそれぞれの持ち場に戻って行きました。

 一方、他の乗客の方はというと、騒々しさからチラッと老女を見やっただけで後はスマフォとニラメッコ。何事もなかったかのように静かなものでした。

 間もなく、電車が再び走り始めました。この事故での遅れは、4分ぐらいだったようです。

 この路線の各停電車は、本数が少ないとはいえ10分毎の運転です。

「年甲斐もなくあの婆さん、あと10分待てないなんて、・・・
 10分も待てば後続の電車に乗れたのに、・・・
 電車が来たと見たらつい走り出すのは条件反射。
 若い頃からの刷り込みじゃぁ、あれも仕方ないか!」私の方は、頻りにこんなことを考えていました。

 件の男性、降りた駅は私と一緒でした。少しは労いになるだろうと、思い切って声を掛けてみました。

「さっきはお見事でした! 人に触れるのさえ嫌がる今どき、
 なかなか出来ることではありませんよ」。

「ただ、“当たり前” のことをしただけですよ。何もなくて
 何よりでした」と、件の男性。サラリと、こんな言葉を口にして立ち去りました。

 普段は屁とも思わない“当たり前”。最近、“当たり前” に感謝という言葉を頻繁に目にします。

 この “当たり前” がどんなに有り難く幸せなことか! これが、今回のコロナ禍が気づかせてくれた唯一の功績なのかもしれません。件の男性、あっぱれでした。



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コメント (2)
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