高齢者にとって、誰もが共通に持つ懸念材料と言ったら認知症。これ以上怖いものはないかもしれません。
もし、私が認知症になったら? 戸惑ったりイライラしたりは最初だけ、症状が進んだら何もかもわからなくなるでしょう。
ですから、自分の認知症に対し私自身はこんなふうに考えています。
自分ではどうにもならないことなら、自分一人で徒に恐れたり心配したりしても無駄。10年も遅蒔きながら、“耳順う” だけです。
それよりむしろ、私が認知症になって迷惑を被るのは間違いなく周りの人たち。特に、一番身近に暮らす人がトバッチリを喰らうと思います。
ですから、私が今のうちにやっておくべきことは、私の世話をやむを得ず請け負う人にお金の工面で煩わせることのないようしておくこと。正直、そう思うに至りました。
逆の意味で私が心配しているのは、70歳になってもなお会社勤めを続けている相方のことです。
会社勤めはほぼ30年。さすがにその内仕事を辞めるでしょうが、退職した後が怖いのです。
退職後の怖さは私自身が身を以て知っています。退職後は生活リズムが一変し、何もすることのない “空白の時間” に苛まれて “うつ” にもなります。
この “空白の時間” がどんなに辛く危険なものかは、実際に退職してみなければわかりません。私自身、これが気にならなくなるのにほぼ4,5年要しました。
主婦業も兼業している相方ですから、こんなことにはならないと思いますが、もしも相方が認知症になるとしたら、その引き金はこの “空白の時間” ではないかと恐れているのです。
聞くところによると、認知症になったら性格が一変すると言われています。恐らくそれは、素の性格が前面に出て来るだけのことではないでしょうか。
相方が素の性格に戻ったら、今に輪をかけて “自分のやることは全部正しい” の一点張り、先ず間違いなく私の言うことなど一切聞かなくなるでしょう。
そうなったら最早 “山姥”(?)みたいなもの。誰の手にも負えなくなるのは必定なのです。
私には認知症となった相方を老々介護で世話をし続ける覚悟も忍耐力もありません。何と薄情な(!)と思われるかもしれませんが、ではどうするか?
キレイゴトだけでは済まないのがこの世の中。長年一つ屋根に暮らしてきた相方ながら、介護施設に早めに入ってもらうことが事を穏便に収める落としどころ? そんなことを考えています。
もし、そうなったらなったで先立つものはお金。“地獄の沙汰も金次第” とは、昔の人はうまく言ったものです。いつの世も終活はナマナマしい(?!)ものらしい、あ~ぁ。
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