ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

心模様が映す世相

2017-03-14 07:07:42 | 自分史
 私の40歳代はバブルが弾けた後の‘90年代に重なります。仕事も家庭も、もうムチャクチャで、今思うとアルコール依存症に一直線の生活を送っていました。

 その頃、道を歩いていてどうにも気になっていたことがありました。行き交う通りすがりの人々が妙にみすぼらしく見えたのです。ビンボクサイと言った方がピッタリでしょうか。どこか自信なさげでいじけて見えました。顔に覇気がないは、シャキッとしてないはで、とにかく皆が皆、くたびれた表情だったのです。縮こまって背を丸め、俯きかげんにセカセカ歩く姿が目障りで仕方ありませんでした。

 お辞儀という独特の礼儀作法を文化にもつ国ですから、この国特有の身に染みついた姿勢のせいと言っていた外国人がいましたが、外国暮らしをしたことがない私になぜそんな風に見えたのかわかりません。私自身、慢心するやら落ち込むやらで、精神がズタズタの状態でしたから、やはり私のゆがんだ精神状態が周りに投射されていたのかも知れません。あの時期の私の心象風景だったとしたら、おぞましいと言うべきか・・・。
 
 あれから20年以上経ちました。経済状況も、人々の暮らしぶりも、あの頃とあまり変わっていません。それでも人々の顔にはみすぼらしさが感じられないのです。変わったことと言えば、私が退職して年金生活者になったことと酒を断ったことだけです。

 そう言えば、もう一つ変わったことがありました。当時、奇妙な夢をしょっちゅう見ていたのです。幽体離脱をしては、ピョ~ンピョ~ンと垂直飛びのように空気を蹴って空を飛び回る夢でした。会社の同僚に、「空を飛ぶ夢を見たことがあるか?」と尋ねられたことがあったのでよく覚えています。あれが一体何を意味していたのか今でもわかりません。

 周囲の風景が、自分の心模様がそのまま投射されて見えることってあるんですね。一浪して大学入試に落ちた日もそうでした。早春の日の昼下がり、まだ肌寒い晴れた浜辺で見た光景がなぜか陰画のように見えたのです。ふとそのときの孤立感までもが思い出されました。

 流行や世相というのは、その時代に生きる人々に投影されるばかりでなく、一人々々の心模様が投射された総体なのでしょう。一人々々がお互いを意識し合って醸し出し、社会全体を覆ってしまう、一種独特の気分の集合体と言われているのは当たっています。つい、そんなことを考えてしまいました。



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