ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“ジリツ” って?

2018-04-13 06:22:10 | 自分史
 断酒して1年9ヵ月目に入った頃、自助会AAのミーティングで “ジリツ” がテーマになったことがありました。“ジリツ” と言っても自立と自律があります。一体どちらの“ジリツ” なのか迷った記憶があります。

 AAにはスポンサー・シップという仕組みがあります。スポンサーとは『回復のプログラム』の指導役も兼ねた個人的な相談相手のことで、経験を積んだ人になってもらうのが普通です。話題提供にと司会者のした話は、このスポンサーについてでした。

 最初なってもらったスポンサーが絶対服従を求めてきた人だったそうで、付き合うのにほとほと難儀したという話だったと思います。話の締めは、依存気質の強いアル症者だからこそスポンサーからも精神的に自立すべきという結論だったような? 半分上の空で聞いていたのでハッキリしませんが、このことで話の流れが自然に自立となったことは覚えています。

 一方、このミーティングの日に書き残していた私のメモには、なかなか自立できないでいたサラリーマン時代のことが書かれていました。入社して5、6年経った頃のことで、家計上の強い経済的プレッシャーから、解雇されでもしたらどうしようとしきりに怯えていた時期のことです。

 結婚生活と就職とが同時スタートだったので、次男が生まれるまでの5年間は共稼ぎでやっていました。なので気持ちは、依然として青二才丸出しの学生気分そのままでした。さすがに次男の誕生と同時に家計を一手に担うことになり、そんな気分でいる自分が頼りなく思えていました。つまり、仕事での実績がなく自立できていない状態が心細くなったのです。それほどまでに会社に依存していました。

 毎晩の晩酌が定番となったのは、そんなストレスを紛らわすためでもありました。晩酌を毎晩したことで益々、夜更かし・朝寝坊が酷くなりました。家計の収支を自分で正確に掴んでいたのなら、毎晩の晩酌などできるはずがありません。妻に給料袋を渡したら後はお気楽なご身分だったのです。アル症の初期段階・精神依存への道はこうして敷かれたのだと思います。

 話しは戻って、“ジリツ” がテーマとして出されたとき、私自身は自律の方を考えていました。断酒を続けるには自分で自分を律するしかないだろう、と単純に考えてのことでした。後で調べてみると、自分で自分を律するという意味なら精神的自立と同義で、自立でも問題ないことがわかりました。それでもなお自律に絡んで何かが引っかかったままでした。

 前置きが長くなってしまいました。最近になってようやく気づいたのですが、どうやら気になっていたのは自律神経のことだったらしいのです。

 唐突ですが、今の私は自律神経が正常に機能してこそ初めて精神的自立もあるのでは、と考えるに至っています。何のことはない、精神の宿る肉体が健全であってこそ精神的な自立もあり得るという意味です。そして、自律神経が正常に機能するよう仕向けるためには、規則正しい生活リズムを刻み、身の回りを整理整頓して生活秩序を保つことが不可欠とも。

 あーだこーだと下手な理屈を捏ねるよりも、こう言った方がわかりやすいでしょう。早寝・早起きに始まって毎日欠かさず一定時間外を歩くこと、これです。特に、外を1~2時間ほど歩くことが自律神経を正常に機能させるのに最も有効なようです。しかも、無理なく身体を動かすという意味では最も理に適っている、と私は実感しています。

 経済的に自立した生き方にせよ、精神的に自律できる生き方にせよ、どちらも飲まないで生きる生き方の達成目標です。その目標達成のためには、“秩序とリズム”。これが変わらぬ私のモットーとなっています。



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