ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

思うところは皆同じ? “自分が第一”!

2017-12-08 06:41:13 | 病状
 今まで数々のことを教わってきたAAのミーティングですが、中でも印象深かったのは誰もが内心では “自分が第一” と考えていることでした。

 アルコール依存症(アル症)者に共通していることは偏った認知の持ち主ということです。体験談を聞いていると、ほぼ全員が自己中心・自分本位の性格だったと反省の言葉を口にします。これを言い換えれば、自分が可愛くて仕方なく、“自分が第一” だったと言っているのと同じことです。この “自分が第一” も偏った認知の現われなのでしょうか?

 そんな言葉を数多く聞いていると、「これはアル症者に特異的ということではないのでは・・・? “自分が第一” は当たり前と世の中の誰もが弁えていることで、皆がこのことを暗黙の内に了解し合っているだけなのでは・・・?」と次第に考えるようになりました。

 皆が皆 “自分が第一” と我先にワガママを押し通そうとしたら争いになるのは避けられません。そこを巧く折り合っているのが世間一般の道理なのでしょう。その折り合が巧くできず、“自分が第一” の考え方が少しずつ自己中心・自分本位に偏って行ったのがアル症者ではないでしょうか。

 自分の思いを叶えようとするのなら、相手の都合も考慮し、遠回りするのもアリかと自制するのが普通です。ところが、手短な欲望を直ぐにでも叶えたい、何が何でも自分のことを構ってもらいたいと、どうにも我慢できなくなっているのがアル症者です。ものごとには遠回りもあり得るとわかっていながら、こうなのです。

 私をはじめアル症者は皆、そんな不満を酒で紛らわしていましたし、その酒が逆に不満やイライラを増長させてもいたようです。アルコールには、コルチゾール、アドレナリンなど、危機に際して分泌されるホルモンの分泌亢進作用が知られており、アルコールの常用はそうしたホルモンによる興奮状態を持続させ、不満やイライラも増長させるのです。

 “自分を大切にする”  ⇔ “自分が第一” ⇔ “自分を甘やかす”

 上に示したように、“自分が第一” は “自分を大切にする” ということにも、“自分を甘やかす” ということにもなり得ます。この二つは似て非なるもので、まったく異なった意味を持っています。

 一方の “自分を甘やかす” は、近視眼的な欲に目が眩んで無理筋を通そうとするワガママにもなりかねません。そうなれば周囲と無益で無謀な争いが起き、結果的に自分自身が傷つくことにもなります。

 これに対して “自分を大切にする” のなら、決して無理はしません。“損して得取れ” 昔の人はよく言ったもので、結果的に自分が得をすればよいのですから、状況によっては遠回りすることもアリなのです。その際に心懸けるべきはただ一つ、単に “周りの事実をありのままに受け止める” ことだけで良いのですが・・・。

 こうは言っても現役の働き世代の方々にはなかなか難しいことかもしれません。こんなエラそうなことを言えるのも年金のお陰であって、少しずつ貯金を取り崩しながらも働かずになんとか暮らしていける身分だからです。そのことは重々自覚しています。

 それでも私は「人生の帳尻は必ず合うのが自然の摂理」を固く信じ、それゆえに日々ゴミ拾いにも励んで精々自分を大切にしているつもりなのですが・・・。断酒歴4年となった今の私はこんなふうに考えられるまでになりました。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓


コメントを投稿