ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

健常者と依存症者

2020-06-26 05:57:44 | 病状
 無意識の内に複数の依存先を持っているのが健常者、たった一つ(か二つ)の依存先に囚われてどうにもならなくなっているのが依存症者。

 どちらにとっても行動の自由は当たり前のこと、大してありがたいとは思っていないのも両者共通しています。

 今回の新型コロナ禍をこの観点から見れば、当たり前と思っていた行動の自由は両者共に制限されているのですが、依存症者の方が殊の外辛い状態になっていると思います。

 この間散歩していたら久々に、小学6年生の娘を持つ母親にバッタリ出会いました。3月初め以来のことですから3ヵ月ぶりの再会でした。

「あら、随分お久しぶり! どうされていました?」と、開口一番に彼女。

「新型コロナのせいでゴミ拾いはしばらくお休み。
 散歩以外どこにも出歩かなくなったんで、家で延々とTVばっかり。
 朝、小一時間の散歩から帰ると11時から韓国現代ドラマ、
 お昼の1時からは “午後のサスペンス”、
 3時ちょっと前からまた別のドラマ、
 といった具合にドラマのハシゴですよ。
 なに、古いドラマの再放送だけどね。」と、私の方は事細かに説明。

「あら、それうちの娘と同じ。学校に行けなかったんだから
 しょうがないし、それに古いドラマでも結構おもしろいからねぇ。」

 いやはやピチピチした小学6年生の健常者と古稀を迎えるジジイの依存症者とが同じ生活パターンだとは、その子が何ともかわいそうに思えました。

アル症の回復には複数の “依存先” を
......依存先を複数持つことが回復への近道ということになるのでしょうか? それもギャンブル依存、セックス依存、買物・万引き依存など、後々高いツケを払うことになる依存先は避け、できれば社会参加に繋がる健全な依存先を複数選べばいいだけの話......



 思えば、先ず自助グループAAのミーティングの休止から事が始まって、その次にゴミ拾いや市役所通いの休止と続き、今の私は “キョウイクとキョウヨウ” 先が、一つまた一つ奪われた状態にいます。言い換えれば依存先がその分減ったということです。

 そんな私にとって、新たな依存先がTVとラジオ、昭和真っ只中の頃の娯楽です。これをも先祖返りというのかわかりませんが、今どっぷり嵌まっています。

 こんなふうにダラダラしているから、どうしても気が弛(たる)んでしまうわけです。ヤレヤレ



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