生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

システム的種概念(承前)

2010年03月08日 17時05分54秒 | 生命生物生活哲学
システム的種概念(承前)

■ 種概念を定義すること
 要は、話が逆なのである。有性生物体においては、生物体の両性ともに同一の種に属する(=或る一つの同じシステムからそれらが産出される)から、交配すれば子生物体ができるのであって、交配可能だからとか、隔離されているという事態でもって種を『定義する』ということは、話があべこべなのである。個々の生物体を分類するための判定基準を与えることではなく、種的性質から結果する事態(の一部)を指示するのではなく、「~とは何か」に必要かつ十分に答えることが、定義するということである(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』も参照せよ)。

■ 発生制御
 一方、或る種タクソンを自然界の存在状態に沿って(つまり自然分類を与えるように)定義することは、現段階ではまだ不可能である。そのためには、発生制御が分子レベルで明らかになる必要がある。急速に研究は進んでいる。しかし、生物分類の旧来的仕事もまた必要である。というのは、たとえば形態的形質を記載し、種差を解明することは、発生学者ではないからである。観測された生物体の個体変異が種差に相当するかどうかの基準が、発生上の制御メカニズムが解明されたら、自動的に種的差異が出てくるかどうか、それは不明である(したがって経験的に試験するのだ)。発生システムが成立することと、種の規定の成立とは別個の事態である。たとえば種が出現するとき(或る種システムが創発し、そのシステムが作動して少なくとも1個体の生物体が産出されるとき)、〔何を言おうとしていたのか、思い出したら書き継ぐことにする……〕
 繰り返せば、親生物体も子生物体も種システムそのものの一部ではない。

■ 形相因・質料因・作動因
 生物体が一つの種システムによって(「種システムから産出される」とすると、その種システムは素材(質料)も内部に用意しているように受け取れるので、「によって」と用心深く言わなければならない。もとより、卵という存在形態で、発生初期から生物体は素材も用意されている。しかし概して、親生物体内部に備えるシステムによって子生物体が産出されることは決して無い。一つは、原則的にたとえば核酸や蛋白質の素材は生物体外部から取り込まれるからである。
 もう一つは、すべての制御は生物体において行なわれているのか、という問題である。たとえば、蛋白体が或る立体構造を取ることは、細胞内の条件によって一意的に決まるとしても、腕の形態までが説明できるかという問題である。これは体節構造であるとか、発生初期の分化よりも少なくとも一つ下位の制御の問題である。というより、体節構造を持つ身体の形態はいかにして決まるのか、という問題である。〔不勉強なので展開はここまでにする。〕

抽象絵画論の基礎

2010年03月08日 13時30分16秒 | 美術/絵画
□ 抽象絵画の感性純粋性と物活論

 モンドリアン。神智学の物活論。純粋感覚。感性学 aesthetics。感受性sensibility。感覚的処理と感性的処理。
  高松次郎(2003.7)『不在への問い』。
  岡野浩二(2009.4)『芸術の哲学』。
 physics、physiology、physionomy、physiosophia。economics、ecology、economy、
ecosophia。nomos、logos。

システム的種概念/分類と実在性

2010年03月08日 13時22分06秒 | 生命生物生活哲学
■ 属員関係membership
 種システムが、(或る種タクソンに属する)生物体を産出し、生物体は産出される。このようないわば一方的関係は、(数学での)集合論では、<属する>という無定義述語に対応させることができる。属員関係 membershipである。これはいかようにも解釈できる関係であるが、これはまさに、分類するというわれわれの操作の適切な表現となっている。というのは、きわめて根本的かつ一般的な、われわれの概念的操作(心的作用)を基礎としていることの反映だからである。
 われわれは、対象を認知し、対象が持つと措定した性質によって、対象を分類する。

■ 個物individual(きちんと言えば個体的物 individual thing [thing物はBungeやMahner & Bunge的意味で])と諸性質
 対象という一つの全体を認知する能力をわれわれは持っている(と前提する)(なお、認知cognitionと認識recognitionの区別は一見プロセスとして別事のように取れるが、実際は程度の問題であろう)。ここで問題なのは、性質である。これはしかし観測(存在物の認定(=類的同一性)と測定(名義尺度の場合も含む))の問題とも関わる。

■ 主体的世界像
 どのような性質を用いるかによって、分類結果が異なるのは当然である。しかしまた、分類者が対象についてどのような性質を用いるかを選ばない限り、分類という操作は実践できない。世界をわれわれが捉えるのは(そして世界像を構築するのは)、対象を認識し分類して、個々の対象ではなく、(なんらかの段階での)類について思考し、たとえば計算的操作をして、結論を個々の実在する対象について適用するといった、様々な経験によってである。ここにはむろん、概念枠組みの構築と実践的道具の構築と改訂がある。
 観測するのは何らかの種に属する生物体である。ゆえに、観測可能な対象とその性質について、_Homo sapiens_的制約や測定装置の現時点での制限とかがある。われわれは有限の存在物である。

システム的種概念

2010年03月08日 12時51分27秒 | 生命生物生活哲学
■ E. Mayrの生殖隔離的種概念は指標仮説である

 Mahner & Bunge (1997)が指摘したように、Mayrの(生殖)隔離的種概念 isolation concept of species (不適当にも、生物学的種概念 biological species conceptと呼ばれることが多い)は、生殖隔離という操作によって種タクサを分けるものである。したがってそれは、指標仮説であり、定義ではない。
 定義とは、定義される語を、定義項というこれまた語によって概念的等価関係を与えるものである。それゆえ、後にMayrは、現実的操作だけをもってくるのはまずいと思ったのか、潜在的にpotentiallyという語を加えた。むろん、このことでますますわけのわからない『定義』となった。
 交配可能なのが何代までなら、(先祖!?の)2個の有性生殖生物体は同種に属すると判定するか、これは実際に様々であるので、どこで切るかは人の恣意的な判断となる。任意の2生物体が同種に属するのか別種に属するのかの実際の判断の一つの『参考』基準にはなり得ても、種概念の定義にはならない。個々のタクソンについての判断基準(の不適切な一つ)であって、種概念という個別のタクソンではなく種タクソンという一般的概念(用語ではcategory。むしろ種ランク rankと言ったほうが混乱がないだろう)の定義を与えるものではない。

■ 定義項に生物体や個体群をもってくることの誤り

 また、他のほとんどの種概念と同様に、なんらかの関係をもった生物体間または『個体群』間(個体群とは生物体の収集体(つまり、われわれの構築概念)である)よって『定義』されている。ここが大きな間違いである。種を、(なんらかの関係をもった)生物体と同一視することは、まったくの錯誤である。

■ 生物体は産出され、
(メカニズムを備えた)種システムが生物体を産出する

 『生物体を産出するシステムである』というシステム的種概念は、捉え方が異なるのである。生物体は産み出されるのであって、生物体を(なんらかの操作で)集めたもの(分類したもの)が種となるのではない。個々の生物体は種システムの生産物の標本 sampleである。少し無理して統計学的表現に対応して言えば、種は無限母集団であって、生物体は抽出された(=現実世界において作られて出現した)標本である(むろん、われわれは一つの種に属する生物体すべてを観測することは実際上困難である)。

美術論関係本リスト追加

2010年03月08日 02時00分08秒 | 美術/絵画
[K]
*金悠美.2004.2.美学と現代美術の距離:アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって.東信堂.[ISBN 9784887135420 / 3,800円+税]〔分析美学,グリーンバーグ,Danto〕

[M]
*三井秀樹.1996.4.美の構成学:バウハウスからフラクタルまで.186pp.中央公論社.[ISBN 9784121012968 / 740円+税]

*三井秀樹.2006.4.新 構成学:21世紀の構成学と造形表現.310pp.六耀社.[ISBN 9784897375571 / 5,200円+税]〔某日読了〕

*三井 秀樹.2000.3.形の美とは何か.238pp.日本放送出版協会.[ISBN 9784140018828 / 920円+税]

[S]
佐々木健一.2004.3.美学への招待. 240pp.中央公論新社.[ISBN 9784121017413 / 780円+税]